日本のお笑い界を代表する明石家さんまさん。
明石家さんまさんのユニークなキャラクターの裏には、どんな家系や家族のエピソードがあるのでしょうか?
この記事では、
- 明石家さんまさんの家系図と家族構成
- 父や兄弟とのエピソード
- 元妻・大竹しのぶさんと子供たちとの関係
などをご紹介します!
明石家さんまの家系図と家族の物語
日本のお笑い界で長年トップに君臨する明石家さんまさんですが、その家族や家系についてはあまり知られていないかもしれません。
ここでは、明石家さんまさんの家系図を元に、
- 家族構成や兄弟
- 元妻である大竹しのぶさんとの関係
など、さんまさんの家族にまつわるエピソードをご紹介します。
明石家さんまの家系図はこちら!
それでは詳しくみていきましょう。
明石家さんまと両親の家系
明石家さんまさんの父親、杉本恒さんは1928年に奈良県で生まれ、水産加工会社「杉音食品」を営んでいました。
この会社では、一階が工場、二階が住居となっており、サンマの干物などを加工していたことから「明石家さんま」という名前の由来になったというエピソードもあります。
父親である杉本恒さんは、最初の結婚で長男と明石家さんまさんを授かりますが、さんまさんが3歳の時に実母が病で亡くなりました。その後、杉本恒さんは男手一つで二人の息子を育てながら、再婚。
再婚相手には連れ子がおり、家系図は両親と兄弟3人の5人家族という形に広がりました。
2006年に杉本恒さんは76歳で亡くなりますが、その生涯は家族を愛し、支えるものでした。一方で、さんまさんの継母は実の子を特にかわいがることが多かったとされ、さんまさんや兄は少し寂しい思いをしていたともいわれています。
笑いの原点は家族との関係に?
そんな環境の中で、さんまさんは継母に振り向いてもらいたい一心で面白い話を考えるようになり、これが後のお笑いの道に進むきっかけになりました。
また、再婚後に誕生した10歳ほど年下の弟をとてもかわいがっており、家族の愛情を常に求めていたそうです。
現在、さんまさんの継母は実兄と一緒に暮らしているといわれています。明石家さんまさんの家系図を振り返ると、家族のつながりや関係性が今のさんまさんを形作っていることが感じられますね。
明石家さんまの家系図と兄弟のエピソード
明石家さんまさんの家系図を見ていくと、明石家さんまさんの兄弟との絆や悲しいエピソードが浮かび上がってきます。
実兄の杉本正樹さんと、異母弟の正登さんとの関係には、さんまさんの人生において重要な出来事がありました。
実兄・杉本正樹さんとの絆
さんまさんには実兄の杉本正樹さんがいます。
お二人は見た目もよく似ており、テレビ番組で共演したこともあるほど。現在、杉本正樹さんは、父親である杉本恒さんが始めた「カラオケバーさんま」を引き継ぎ、経営を続けています。兄弟の絆は今も続いており、さんまさんの家系図に欠かせない存在です。
杉本正樹さんは現在3度目の結婚をしており、お相手は約30歳年下の奥さんだそうです。お子さんもいるようで、杉本家の家系も新たな世代へと続いています。
異母弟・正登さんとの思い出と悲劇
明石家さんまさんには、異母の弟である正登さんがいました。
正登さんとはとても仲が良く、特にサッカーという共通の趣味で結ばれていました。正登さんは奈良育英高校サッカー部のキャプテンを務め、インターハイにまで出場する実力の持ち主でした。
しかし、1982年にさんまさんの実家が火事で焼失し、当時19歳だった正登さんがその火事で命を落とすという悲劇が起こります。さんまさんと正登さんは、1982年のサッカーワールドカップを一緒に見に行く約束をしていたため、さんまさんにとっては大きなショックでした。
この出来事は、さんまさんの心に深く刻まれ、家系図においても忘れられないエピソードとなっています。
さんまさんの家系図には、このような家族との絆や別れの物語が含まれており、家族との思い出がさんまさんの生き方やお笑いの原動力にもなっているようです。
大竹しのぶの家系図と人生の歩み
次は明石家さんまさん自身のご家族についてみていきましょう。
明石家さんまさんの元妻である大竹しのぶさんは、女優、タレント、歌手と幅広く活動しています。実は、さんまさんと結婚する前にも一度結婚しており、大竹しのぶさんの家系図にもさまざまなドラマが刻まれています。
家族と芸能界デビュー
大竹しのぶさんは、1957年7月17日生まれの66歳。
東京で一男四女の三女として育ちました。大竹しのぶさんが芸能界に入るきっかけとなったのは、1973年にフォーリーブスの北公次さんが主演するテレビドラマのオーディションに合格したことでした。そこから女優としてのキャリアがスタートし、現在に至るまで多方面で活躍を続けています。
前夫との出会いと別れ
大竹さんの最初の夫は、TBSテレビのドラマディレクターである服部晴治さんでした。
1982年に結婚し、1985年には長男が誕生。しかし、1987年に夫の服部さんがガンで亡くなり、大竹さんは悲しみの中で子育てに励むことになります。この家系図には、彼女の大きな悲しみも刻まれています。
明石家さんまさんとの再婚と新たな家系図
大竹しのぶさんは1988年に明石家さんまさんと再婚し、翌年には長女であるIMALUさんが生まれます。さんまさんと大竹しのぶさんの家系図は新しい形を描きますが、1992年には大竹しのぶさんが二人の子どもの親権を持つ形で離婚が成立。
その離婚の一因はゴルフ場での喧嘩がきっかけだったともいわれています。
離婚後も続く家族の絆
離婚してからも、大竹さんとさんまさんは毎年7月に合同誕生会を開き、家族としての絆を保ち続けています。
互いに理解し合える関係を築き、今の関係が最適だと感じているそうです。このように、大竹しのぶさんの家系図には、家族の愛と別れ、そして新しい形での絆が刻まれています。
明石家さんまの子供たちと家系図のつながり
明石家さんまさんは、大竹しのぶさんとの結婚生活の中で、
- しのぶさんの長男・二千翔(にちか)さん
- 実の娘であるIMALU(いまる)さん
を愛情深く育てました。
明石家さんまさんとの血縁関係はIMALUさんとのみありますが、二千翔さんのことも実の子のように可愛がっていたようです。親権は大竹しのぶさんが持っていますが、現在も家族の絆を大切にし、子供たちとの交流を続けています。
長男・二千翔さんの歩み
長男の二千翔さんは、1985年1月29日生まれの39歳(2024年11月時点)です。
慶應義塾大学経済学部を卒業後、アメリカで働いていましたが、1年半で帰国し、大竹しのぶさんやIMALUさんのマネージャーを務めていました。
現在は、芸能オーディションサイト「narrow」を運営するジェミー株式会社でディレクターとして活躍しています。 また、2023年には「来年には彼女を連れてきたい」と語っており、プライベートでも充実しているようです。
長女・IMALUさんの多彩な活動
IMALUさんは、1989年9月19日生まれの34歳(2024年11月時点)で、本名は大竹いまるさんです。
2009年にファッション雑誌「Zipper」でモデルデビューし、同年のテレビドラマ「リアル・クローズ」で女優としてもデビューしました。その後、
- タレント
- 声優
- ラッパー
- DJ
など、多彩な分野で活躍しています。家系図においても、彼女の多才さは新たな枝葉を広げています。
明石家さんまさんは、親権は持っていないものの、家族の絆を大切にし、現在も子供たちとの交流を続けています。そのため、明石家さんまさんの子供は二人と言えるでしょう。
以上、明石家さんまさんとその家系図や家族についてご紹介しました。日本のお笑い界を代表するさんまさんの家系図には、家族とのさまざまなエピソードや絆が刻まれています。