女子陸上競技選手の新谷仁美選手。
若い頃から高橋尚子の再来と言われ、ハーフマラソンや10000mで日本新記録を樹立する大活躍ぶりでしたね。
今回は、新谷仁美選手の若い頃から現在に至るまでの経歴や成績、また体重調整で悩んでいたことや引退の過去についてご紹介します。
【動画】新谷仁美の若い頃の駅伝の走りがすごい!
新谷仁美選手は1988年2月26日生まれの33歳。出身は岡山県総社市です。
現在は、積水化学女子陸上競技部(セキスイフェアリーズ)に所属しています。
若い高校生の頃からすごい走りを見せており、その活躍ぶりは「駅伝の怪物ランナー」と呼ばれたほど。
まずは、岡山県の興譲館高校で駅伝に出場していた際の動画をご覧ください。
全国高校駅伝での成績は、
- 2003年:第1区 区間賞
- 2004年:第1区 区間賞 (区間新記録)
- 2005年:第1区 区間賞(区間新記録)
3年連続で第1区を走り抜き区間賞、そのうち2度も区間新記録を打ち立てています!
また、駅伝以外の大会でも輝かしい記録を残していますね。
2005年
- 晴れの国おかやま国体 3000m優勝
- インターハイ3000m 優勝
- 世界ユース女子3000m 銅メダル
- タイムトライアルIN長崎5000m 15分28秒70(当時の高校歴代2位)を記録
- 全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 第1区 区間賞
2006年
- 横浜国際女子駅伝の日本代表 総合3位、アンカー区間賞
こちらは、日本選抜に選ばれた若い頃の画像。かわいいです!
新谷仁美の経歴&成績(若い頃から現在まで)
続いて、高校卒業後の経歴や成績を見ていきましょう!
新谷仁美選手は高校卒業後、大学に進学せず実業団の豊田自動織機・女子陸上競技部に入部します。
当時の陸上部の監督は、小出義男監督。
高橋尚子選手に憧れていた新谷選手は、小出義男監督の教えを乞うため豊田自動織機を選んだそうです。
実業団時代の主な経歴と成績
では、実業団に入ってからの経歴と成績を順に見ていきましょう。
2007年
- 第1回東京マラソン初優勝
2008年
- 北海道マラソン2位
- 第28回全日本実業団対抗女子駅伝の1区を走り、豊田自動織機が初優勝
2009年
- 名古屋国際女子マラソン8位
2011年
豊田自動織機女子陸上部を退部、佐倉アスリート倶楽部所属は継続
- 6月 第95回日本選手権女子5000m 2位
- 6月 ホクレンディスタンスチャレンジ士別大会 女子5000m 2位
- 7月 第19回アジア選手権・銀メダル
- 8月 第13回世界選手権女子 5000m決勝13位
- 11月 国際千葉駅伝 アンカーを走り区間新記録
2012年
- 1月 第30回都道府県対抗女子駅伝 アンカーで区間賞
- 6月 第96回日本選手権女子5000m ・優勝 (ロンドンオリンピック出場決定)
- 8月 ロンドンオリンピック女子10000m・9位(日本女子歴代3位のタイム)・女子5000m・18位(予選落ち)
- 10月 第67回国民体育大会(ぎふ清流国体)陸上競技成年女子5000m優勝・国体大会記録更新
- 11月 東日本実業団対抗駅伝 3区を走り区間新記録
- 12月 全日本実業団対抗女子駅伝初優勝
2013年
- 6月 第97回日本選手権女子10000m 大会新記録で優勝
- 8月 世界陸上モスクワ大会10000m 5位(唯一の日本女子代表)
7年間における活躍、すばらしいですね!
しかし、新谷選手は、2014年に現役引退を表明します。
2014年の引退理由は?
新谷仁美選手の現役引退の理由は、右足底筋膜炎という右足裏の故障です。
2012年に出場したロンドンオリンピックで右足底筋膜炎となり、医師から「手術をしても治るかは五分五分」と伝えられたそう。
2013年に世界選手権モスクワ大会10000mで5位入賞を果たしていますが、世界トップとの差は大きく、
「オリンピックでメダルをとることは難しい」
と、トラックを去ることを決意しました。
復帰後の経歴と成績
2018年に、新谷選手はNIKE TOKYO TCで陸上界に復帰!
復帰後の成績はこちらです。
2019年
- 1月 全国都道府県対抗女子駅伝 アンカーを走り区間賞
- 4月 ドーハアジア選手権10000m 銀メダル
- 12月 所属先のNIKE TOKYO TCが理由に解散
2020年
積水化学女子陸上競技部(セキスイフェアリーズ)に移籍
- 1月 全国都道府県対抗女子駅伝で9区を走り区間賞
- 1月 Aramco Houston Half Marathon 優勝(14年ぶりにハーフマラソン日本新記録樹立)
- 9月 全日本実業団対抗陸上競技選手権大会女子5000m 日本歴代2位をマーク
- 10月 プリンセス駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝予選会) エース区間3区を走り、区間新記録
- 11月 クイーンズ駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝)に3区 で区間新記録
- 12月 日本陸上競技選手権10000m 優勝(日本新記録、東京2020オリンピック代表内定)
2021年
- 8月 東京オリンピック 10,000m決勝 21位
- 11月 クイーンズ駅伝 5区10kmで出走
2022年
- 3月 東京マラソン 7位 自己ベスト更新
(2時間21分17秒) - 7月 世界陸上 コロナ感染により欠場
2023年
- 2023年1月、ヒューストンマラソンで日本歴代2位を記録し優勝
東京五輪や2022年の世界陸上は残念でしたが、
引退していたとは思えない超人的な走りをみせていますね!
新谷仁美は若い頃、体重制限に悩んでいた?
若い頃から明るい性格で、笑顔が素敵な新谷選手。
しかし、極度の体重制限を課していた若い頃の苦しい経験を、次のようにツイッターで発信しています。
この時の結果があったから今の世界に戻って来れた。でも私にとっては消したい過去。間違った方法で臨み、記憶として強く残してしまった。アスリートとして本来あるべき姿ではなかった。こんな姿で臨む必要もなかった。お願いだから真似しないで!危険です。身長165cm/体重40kg/体脂肪3%/無月経 pic.twitter.com/xDzhhrVa5j
— 新谷 仁美 (@iam_hitominiiya) December 28, 2020
身長165cmで体重40kgなんて、痩せすぎどころではない気がします…。
2013年頃の新谷仁美選手を見て、当時痩せすぎではないか?と感じる方もいたようです。
新谷仁美は若い頃 事務職も経験していた!復帰した理由は?
新谷さんは、2014年に一度現役を引退した後、4年間のOL生活も経験されています。
勤務内容は、パチンコ関連企業で営業の事務サポート。
しかし、プレゼン資料の作成を頼まれても思うようにできず、取引先の社員から、
「スポーツ選手は楽をできる仕事だよね」
と投げかけられたこともあったとか…。
普通なら落ち込んでしまうようなきつい言葉ですが、新谷さんは、
「自分に向いていない事務職を続けるよりも、陸上をした方が収入を得るのに有効」
と捉えて、再び陸上界に復帰することを決めたそうです。
新谷さんは、復帰の理由をこう振り返ります。
「OLで稼ぐより、走るほうが給料がよかったから」
ドライにも感じられますが、彼女の「走るプロ」としての成績には目を見張るものがありますよね。
一度目の現役時代を上回るほどの記録を残し続けているのは、「契約している企業の一商品として求められるレースで結果を出す」という彼女の究極のプロ意識だと言わざるを得ません。
新谷仁美のSNS発信にも注目!
新谷さんはSNSでも積極的に発信を行い、世間に注目されています。
体重制限に関しては、陸上を頑張る人たちにSNS上でアドバイスを送ったり、極度な食事制限などを行うアスリートに向けて、健康的な体づくりの重要性を説いたり…。
自分のカラダと心を大事にしてください。 pic.twitter.com/RfsYFyaJcP
— 新谷 仁美 (@iam_hitominiiya) December 15, 2020
また、オリンピック開催に対する意見や、ワクチン接種に関する意見など、彼女の考えに心動かされる人も多いのではないでしょうか?
アスリートのワクチン優先接種に関する新谷仁美選手のコメント。この方の意見はいつもアスリートの前に国民の一人であるという姿勢が見える。同誌グラビア。 https://t.co/LX847spx9u pic.twitter.com/IC2zGBfEyv
— ミスターK (@arapanman) May 18, 2021
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