大河ドラマ「豊臣兄弟!」第40話「あさひの輿入れ」では、秀吉と家康の対立が大きな転機を迎えます。家康を武力で従わせようとする秀吉でしたが、大地震によって状況は一変します。
そして浮上するのが、秀吉と秀長の妹・あさひの輿入れでした。
この記事では、
- 「豊臣兄弟!」第40話のあらすじ
についてご紹介します。
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「豊臣兄弟!」第40話のあらすじ

石川数正が徳川家を離れ、秀吉のもとへ出奔します。徳川家の内情をよく知る重臣を失っても、家康は秀吉に屈するつもりはありません。
秀長も両者の間を取り持とうとしますが、事態を収めることはできません。ついに秀吉は徳川討伐へ動き出します。
ところが、その矢先に大地震が発生しました。のちに「天正地震」と呼ばれる大地震です。
天正地震は1586年1月に発生し、中部地方から近畿地方にかけて広い範囲に被害をもたらしました。徳川との戦を進めようとしていた秀吉にとっても、大きな誤算となります。
武力だけで家康を従わせることが難しくなるなか、再び和睦への道が探られます。そこで浮上したのが、婚姻によって豊臣家と徳川家を結ぶ方法でした。
秀吉の妹・あさひを、家康の妻として嫁がせるという案です。
しかし、あさひには夫・甚助がいました。天下統一のためとはいえ、妹を夫と別れさせてまで家康へ嫁がせるのか。
秀吉と家康の天下をめぐる駆け引きの裏で、あさひと甚助の夫婦にも大きな決断が迫られます。
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豊臣兄弟!第40話あらすじ解説
豊臣兄弟!第40話のタイトルにもなっている「あさひの輿入れ」は、1586年に実際に行われました。なぜ秀吉は、妹を家康へ嫁がせる必要があったのでしょうか。
その背景には、小牧・長久手の戦いが終わっても、簡単には秀吉に従わなかった家康の存在がありました。
あさひはなぜ徳川家康に嫁いだ?
小牧・長久手の戦いを経ても、秀吉と家康の力関係は完全には決着していませんでした。秀吉は勢力を広げていましたが、家康も東海に大きな力を持っていました。
天下統一を進める秀吉にとって、家康との関係をいつまでも曖昧なままにはできません。武力で戦い続けるのか、それとも家康を自らの政権へ取り込むのか、大きな判断を迫られます。
そこで使われたのが、妹・あさひとの婚姻でした。
1586年4月には家康側から納采が行われ、5月にはあさひが浜松へ入ります。あさひは家康の正室となり、秀吉と家康は姻戚関係になりました。
単なる家同士の縁談ではありません。家康との関係を強め、豊臣政権の中へ取り込んでいくための重要な一手でした。
ただし、あさひは独身ではありませんでした。それまで夫と暮らしていたあさひの人生は、この婚姻によって大きく変わります。
若い姫を世継ぎのために嫁がせる婚姻とも違います。家康もあさひも40代で、政治的な意味合いの強い結婚でした。
秀吉にとっては天下統一への一手。しかし、あさひにとっては、それまでの生活を手放す大きな転機だったのです。
あさひの夫・甚助はその後どうなった?
「豊臣兄弟!」では、あさひの夫として甚助が登場しています。あさひと甚助は夫婦として暮らしてきましたが、家康への輿入れによって、その生活が終わろうとしています。
史実でも、あさひには家康へ嫁ぐ前に夫がいました。秀吉は家康との縁組を進めるため、あさひを夫と別れさせたと伝わっています。
つまり、あさひの輿入れは「秀吉の妹と家康が結婚した」というだけの出来事ではありません。すでに家庭を持っていたあさひの人生を大きく変える政略結婚でした。
秀吉にとっては、天下統一を進めるための決断です。しかし、あさひと甚助にとっては、それまで続いてきた夫婦生活そのものに関わる問題でした。
「豊臣兄弟!」では、秀吉と秀長だけではなく、家族の関係も丁寧に描かれています。そのため、豊臣兄弟!第40話ではあさひと甚助がどのような別れを迎えるのかも大きな見どころになりそうです。
天下を動かす政治と、その政治によって人生を変えられる家族。二つの視点が重なるところが、豊臣兄弟!第40話の重要なポイントです。
あさひの輿入れだけで家康は臣従した?
あさひが家康へ嫁げば、すぐに家康も秀吉へ臣従する。そう単純には進みませんでした。
1586年5月にあさひが家康へ嫁いでも、家康はすぐには秀吉のもとへ向かいません。姻戚関係になっても、慎重な姿勢を崩さなかったのです。
そこで秀吉が次に動かしたのが、母・大政所でした。
同年10月、大政所は家康のもとへ嫁いだ娘・あさひを訪ねる形で岡崎へ向かいます。秀吉にとって、自分の母親まで徳川領へ送るという大きな一手でした。
その後、家康は大坂へ向かい、秀吉と対面します。
流れを整理すると、次のようになります。
1586年5月 あさひが家康へ輿入れ
秀吉と家康は姻戚関係になります。しかし、家康はすぐには秀吉のもとへ向かいません。
1586年10月 大政所が岡崎へ
秀吉は母・大政所を徳川領へ送ります。家康との関係をさらに進めるための重要な動きでした。
家康が大坂へ
家康は大坂へ向かい、秀吉と対面します。ここから家康は豊臣政権のもとへ組み込まれていくことになります。
つまり、あさひの輿入れは家康臣従への重要な一歩でしたが、それだけですべてが決まったわけではありません。
秀吉は武力だけで家康を倒そうとするのではなく、婚姻や交渉を重ねながら関係を変えていきました。妹に続いて母まで動かしたところからも、家康を取り込むことが天下統一にとって重要だったことが分かります。
家康との関係が固まると、秀吉は九州の島津氏、さらに小田原の北条氏へと向かっていきます。家康との対立を収めたことは、天下統一へ進むうえで大きな意味を持ちました。
しかし、その歴史の裏側にいたのがあさひです。豊臣兄弟!第40話「あさひの輿入れ」は、秀吉が天下人へ近づいていく物語であると同時に、兄の天下取りによって人生を変えられる妹の物語でもあります。
まとめ|豊臣兄弟!第40話「あさひの輿入れ」
以上、「豊臣兄弟!」第40話「あさひの輿入れ」のあらすじと史実についてご紹介しました。家康との対立を収めたい秀吉は、妹・あさひを家康へ嫁がせます。
しかし、あさひの輿入れだけで家康がすぐに臣従したわけではありません。その後、大政所が岡崎へ向かい、家康は大坂で秀吉と対面することになります。
秀吉にとっては天下統一へ進むための重要な外交戦略。一方、あさひと甚助にとっては、それまでの夫婦生活を終わらせる大きな転機でした。
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参考: 国立公文書館「家康、関白秀吉に臣従する」
東京大学史料編纂所『大日本史料』第十一編之二十九
地震調査研究推進本部「岐阜県の地震活動の特徴」