尾崎士郎の『獄中より』は、1921年(大正10年)に懸賞小説で二等に入選した短編作品です。
朝ドラ『ブラッサム』に登場する、西尾一路の『監獄にて』のモデルとなった作品でもあります。
いったい、どのような物語なのでしょうか。
この記事では、
- 尾崎士郎『獄中より』のあらすじ
- 作品の題材となった大逆事件
- 『獄中より』が二等に入選した経緯
- 『ブラッサム』の『監獄にて』との関係
についてご紹介します。
尾崎士郎『獄中より』のあらすじ

『獄中より』は、死刑となった友人が残した手紙を通して、その心情を読み解く短編小説です。
物語に登場するのは、語り手の「私」と、ある事件に巻き込まれた友人A。
Aは事件の巻き添えとなり、死刑に処されてしまいます。
そんなAが「私」に送ったのが、獄中で書かれた手紙でした。
「私」は、その手紙を読みながら、友人が何を思い、どのような気持ちで言葉を残したのかを考えます。
物語の中心にあるのは、死刑となった友人Aの手紙と、それを読み解く「私」の視点です。
そして、この作品の背景にあるのが、1910年(明治43年)に起きた大逆事件。
実際の歴史的事件を題材にしたことが、『獄中より』の大きな特徴となっています。
『獄中より』の題材となった大逆事件
『獄中より』の題材は、明治時代の終わりに起きた「大逆事件」です。
大逆事件とは、1910年、明治天皇の暗殺を計画したという容疑で、幸徳秋水ら社会主義者・無政府主義者が逮捕された事件。
翌1911年、24人に死刑判決が下され、うち12人が処刑されました。残る12人は特赦によって無期刑に減刑されています。
事件との関わりが薄い人々まで処罰された、近代日本を代表する思想弾圧事件として知られています。
実は、尾崎士郎も若い頃から社会主義運動に深く関わっていました。
1898年、愛知県に生まれた尾崎士郎は、中学生の頃から政治に関心を持ち、政治雑誌への投稿や弁論大会で注目されていました。
また、級友の家で大逆事件に関する資料を読み、社会主義思想に触れていたといいます。
早稲田大学へ進学すると、普通選挙運動や社会主義運動に参加。
1918年には、社会主義者の堺利彦が設立した「売文社」の社員になりました。
売文社は、文章の代筆や出版などを手がける会社。尾崎士郎はここで働きながら、社会主義に関する書籍や論文を執筆していました。
ところが、売文社では思想の違いから対立が起こり、やがて分裂。尾崎士郎も政治活動から離れ、文学の道へ進むことになります。
政治活動に情熱を注いだ青年が、小説家へと転身する。
その大きな転機となったのが、『獄中より』の入選でした。
⇒ブラッサムの西尾一路のモデルは誰?尾崎士郎との共通点を解説
『獄中より』で尾崎士郎が二等に入選
1921年(大正10年)1月、尾崎士郎の『獄中より』が『時事新報』の懸賞短編小説で二等に選ばれました。
当時の尾崎士郎は22歳。
しかも、この作品には驚くような誕生秘話があります。
締め切り前夜に一晩で書き上げた
尾崎士郎が懸賞小説の募集を知ったのは、なんと締め切りの前夜でした。
そこで題材に選んだのが、以前から関心を寄せていた大逆事件。
尾崎士郎はわずか一晩で『獄中より』を書き上げ、応募したのです。
ただし、何も準備していなかったわけではありません。
当時の尾崎士郎は、入選後の談話で次のように語っています。
「前から此の材料が頭にあって」
(引用:都築久義「宇野千代と尾崎士郎」より)
以前から、大逆事件を小説にまとめたいと考えていたのですね。
応募作品は、なんと3,000編以上。
その中から『獄中より』が二等に選ばれました。
入選結果が発表されたのは、1921年1月21日のこと。
さらに、この懸賞には、尾崎士郎の人生を大きく変えるもう一つの出来事がありました。
一等は宇野千代の『脂粉の顔』
実は、この懸賞小説で一等に選ばれたのが、宇野千代の『脂粉の顔』でした。
宇野千代は当時、夫の藤村忠と北海道で暮らしていました。
二人の入選結果を整理すると、次のとおりです。
| 順位 | 作者 | 作品 |
|---|---|---|
| 一等 | 宇野千代 | 『脂粉の顔』 |
| 二等 | 尾崎士郎 | 『獄中より』 |
| 三等 | 八木東作 | 『秋の一日』 |
宇野千代と尾崎士郎。
のちに夫婦となる二人が、同じ懸賞小説で一等と二等に選ばれていたのです。
入選後、尾崎士郎には大きなチャンスが訪れます。
雑誌『改造』を主宰していた山本実彦から、長編小説の執筆を依頼されたのです。
尾崎士郎は執筆に取りかかり、1921年には『逃避行』を刊行。しかし、作品への反響は乏しく、その後は生活に困窮する時期もありました。
尾崎士郎が『人生劇場』で広く知られるようになるのは、1935年のことです。
それでも『獄中より』の入選は、尾崎士郎が小説家として歩き始める大きな転機となりました。
ブラッサム『監獄にて』と西尾一路のモデル
朝ドラ『ブラッサム』には、尾崎士郎をモデルとする西尾一路(染谷将太さん)が登場します。
西尾一路が書いた『監獄にて』は、新聞社「時代新報」の新人小説募集で二等に入選する作品です。
一方、主人公の葉野珠(石橋静河さん)が書いた『脂粉の顔』は一等に選ばれました。
このエピソードは、実際の宇野千代と尾崎士郎の経歴を下敷きにしています。
ドラマと史実を比較してみましょう。
| 比較項目 | ブラッサム | 史実 |
|---|---|---|
| 作家 | 西尾一路 | 尾崎士郎 |
| 作品 | 『監獄にて』 | 『獄中より』 |
| 新聞社 | 時代新報 | 時事新報 |
| 入選順位 | 二等 | 二等 |
| 一等入選者 | 葉野珠 | 宇野千代 |
| 一等作品 | 『脂粉の顔』 | 『脂粉の顔』 |
作品名や新聞社の名前は違いますが、二人の入選順位は史実と同じです。
朝ドラ・ブラッサム第7週では、珠の『脂粉の顔』が一等に選ばれます。
ところが、新聞に掲載された選評を読むと、珠は複雑な気持ちになる、という展開。
二等に選ばれた西尾一路の『監獄にて』が、新人とは思えない成熟した筆致だと高く評価されていたからです。
一等に選ばれた喜びと、どこか負けたような悔しさ。
珠はまだ会ったことのない西尾一路を意識するようになります。
そして、のちに二人は東京で出会い、小説家として交流を深めていくことに。
実際の宇野千代と尾崎士郎も、同じ懸賞小説への入選を経て出会い、やがて夫婦となりました。
二人の出会いにつながる史実が、『ブラッサム』にも取り入れられているのですね。
尾崎士郎『獄中より』はどこで読める?
『獄中より』は、1924年(大正13年)に春陽堂から刊行された短編集『獄中より』に収録されています。
その後、『尾崎士郎全集』第7巻(講談社・1966年)にも収録されました。
さらに、2026年9月10日発売の宝島社文庫『宇野千代の愛した男たち』でも読むことができます。
この本は、宇野千代と関わりのあった文豪たちの作品を集めたアンソロジーです。
収録作品は次の8編。
- 尾崎士郎『獄中より』
- 萩原朔太郎『帰郷』
- 川端康成『温泉宿』
- 梶井基次郎『愛撫』
- 宇野千代『午後』(『大人の絵本』より/東郷青児・画)
- 北原武夫『妻』
- 菊池寛『父帰る』
- 谷崎潤一郎『刺青』
宇野千代と親交のあった作家たちの作品を、まとめて楽しめる一冊です。
『ブラッサム』をきっかけに、『獄中より』を読んでみたい方にもおすすめです。
まとめ|尾崎士郎『獄中より』とブラッサム
以上、尾崎士郎『獄中より』のあらすじと、『ブラッサム』の『監獄にて』との関係についてご紹介しました。
『獄中より』は、大逆事件を題材に、死刑となった友人の手紙からその心情を読み解く短編小説です。
尾崎士郎はこの作品を一晩で書き上げ、懸賞小説の二等に入選しました。
そして、一等に選ばれたのが宇野千代。
のちに夫婦となる二人が、同じ懸賞小説で入選していたのも興味深いですね。
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