宇野千代の『脂粉の顔』は、1921年に発表された短編小説です。
主人公は、カフェで働く女給・お澄。外国人男性との出会いをきっかけに、思いがけない屈辱を味わうことになります。
描かれるのは、華やかな恋愛ではなく、女性の期待と失望、そして割り切れない感情です。
この記事では、
- 『脂粉の顔』のあらすじと結末
- お澄が競馬場で味わった屈辱
- 『脂粉の顔』というタイトルの意味
- 懸賞小説への入選と宇野千代のデビュー
- 『脂粉の顔』を読める書籍
宇野千代『脂粉の顔』のあらすじを簡単に紹介
『脂粉の顔』は、カフェの女給・お澄が、外国人男性との交流で屈辱を味わう物語。
外国人客のフバーから金銭的な援助を持ちかけられ、期待を抱くお澄。しかし、誘われた競馬場には、見知らぬ美しい娘がいました。
娘と自分を比べ、服装や化粧に引け目を感じるお澄。フバーの態度も次第に冷たくなり、翌日には関係を絶つ手紙が届きます。
お澄の手元には60円が残りました。しかし、心に残ったのは、簡単には消えない屈辱とむなしさでした。
『脂粉の顔』の詳しいあらすじと結末
『脂粉の顔』では、大きな事件が起こるわけではありません。
それでも、期待が失望に変わっていく展開には、独特の苦さがあります。
物語の流れを詳しく見ていきましょう。
登場人物|お澄・フバー・見知らぬ娘
まずは、主要な登場人物を整理します。
| 登場人物 | 作品での役割 |
|---|---|
| お澄 | カフェで働く給仕女。物語の主人公 |
| フバー | お澄に金銭的な援助を持ちかけるスイス人男性 |
| 見知らぬ娘 | フバーとともに競馬場へ現れる美しい女性 |
物語の中心となるのは、この3人。
特に重要なのが、お澄と見知らぬ娘の対比です。
美しい娘を目の前にしたお澄は、自分の服装や化粧を急に恥ずかしく感じるようになります。
フバーから月60円の話を持ちかけられる
主人公のお澄は、カフェで働く給仕女です。
ある日、客のスイス人男性・フバーから、思いがけない質問を受けます。
「一体貴女は、一ヶ月に何程かかります?」
(引用:宇野千代『脂粉の顔』)
フバーが尋ねたのは、お澄がひと月に必要とする生活費でした。
お澄にとって、60円はまとまったお金。魅力的な申し出です。
ただし、フバーは具体的な条件を示しません。お澄自身も、妾になるわけではなさそうだと考えていました。
それでも、働かずに暮らせるかもしれない。そんな期待が芽生えます。
やがてフバーから速達の手紙が届きました。
書かれていたのは、目黒の競馬場への誘い。
お澄はフバーと出かけることにします。
競馬場でお澄が味わった屈辱
約束の日、お澄は待ち合わせ場所へ向かいます。
ところが、そこにいたのはフバーだけではありません。
フバーのそばには、見知らぬ美しい娘がいたのです。
思いがけない状況に戸惑うお澄。さらに気になったのが、娘と自分との違いでした。
娘の美しさを目の当たりにし、自分の服装や化粧が急に恥ずかしくなります。
作品には、こんな描写があります。
「濃い脂粉の牡丹の花の様な顔」
(引用:宇野千代『脂粉の顔』)
お澄は、身なりへの引け目を化粧で補おうとしていました。しかし、昼間の明るい場所では、かえってその濃さが目立ってしまいます。
暗いカフェでは気にならなかった自分の姿。それが、昼の光の下では違って見えるのです。
お澄は、娘と自分との違いを嫌というほど意識させられました。
競馬場でも、娘を中心に時間が過ぎていきます。しかも、フバーは次第にお澄を避けるような態度を見せ始めました。
自分を誘ったはずのフバー。それなのに、まるで邪魔者になったかのようです。
楽しみにしていた外出は、思いがけない屈辱へと変わってしまいました。
結末|フバーから絶交の手紙が届く
競馬場へ出かけた翌日、お澄はフバーに電話をかけます。
しかし、返ってきたのは冷たい応対でした。
そして、その日の夕方。
フバーから、関係を絶つ手紙が届いたのです。
期待していた関係は、あっけなく終わってしまいました。
お澄の手元には60円が残りました。しかし、お金を受け取ったところで、気持ちは晴れません。
作品では、お澄の胸に残った感情をこう描いています。
「あるむしゃくしゃした糟が胸の中へ溜って何時までも取れなかった。」
(引用:宇野千代『脂粉の顔』)
フバーの冷たい態度。見知らぬ娘への引け目。そして、自分が惨めに思えたこと。
さまざまな感情が入り混じり、お澄の心から離れません。
お金は残っても、傷ついた気持ちは消えない。
『脂粉の顔』は、そんな苦い余韻を残して幕を閉じます。
『脂粉の顔』のタイトルの意味を考察
『脂粉の顔』という題名には、どのような意味が込められているのでしょうか。
物語では、お澄の化粧が印象的に描かれています。
その描写を手がかりに考えてみましょう。
「脂粉」とは化粧やおしろいのこと
「脂粉(しふん)」とは、紅やおしろいなど、化粧に使うものを表す言葉です。
つまり『脂粉の顔』とは、化粧をした顔のこと。
主人公のお澄は、カフェで客と接する給仕女です。化粧は、身なりを整える大切な手段だったのでしょう。
ところが競馬場へ出かけたことで、その化粧が思わぬ屈辱の象徴となります。
昼の光で浮かび上がるお澄の化粧
競馬場でお澄が感じたのは、服装や容姿への強い引け目でした。
お澄は自分の身なりに自信が持てず、顔の化粧で補おうとしていました。
しかし、昼間の明るい場所では、その濃い化粧がかえって目立ってしまいます。
暗いカフェでは隠れていた引け目が、昼の光の下で浮かび上がる。
そんな場面として読むことができます。
お澄が恥じたのは、化粧だけではありません。美しい娘と並ぶことで、自分の服装や立場まで意識させられたのでしょう。
化粧とともに浮かび上がる劣等感。そこに、このタイトルの意味が重なっているように感じられます。
「脂粉の顔」が象徴するお澄の屈辱
『脂粉の顔』には、もう一つの意味も読み取れます。
それは、化粧では隠しきれない、お澄の劣等感や屈辱です。
フバーから金銭的な援助を持ちかけられ、期待を抱いたお澄。
しかし競馬場では、美しい娘と自分を比べて惨めな気持ちになります。さらにフバーからも冷たく扱われてしまいました。
お澄を傷つけたのは、関係を絶たれたことだけではなかったのかもしれません。
自分がどのような存在として扱われているのか。その現実を突きつけられたことも、大きな屈辱だったのでしょう。
『脂粉の顔』は、化粧した女性の姿を通して、心の奥にある傷まで浮かび上がらせた作品と考えられます。
『脂粉の顔』は宇野千代のデビュー作
『脂粉の顔』は、宇野千代が小説家として歩み始めるきっかけとなった作品です。
発表は1921年。宇野千代が24歳になる年でした。
当時の生活と、懸賞小説への入選について見ていきましょう。
札幌で『脂粉の顔』を執筆
宇野千代は1919年、藤村忠と結婚しました。
翌1920年、藤村忠の北海道拓殖銀行への就職に伴い、夫婦で札幌へ移ります。
札幌では仕立ての仕事などをしながら、創作も続けていました。
もともと宇野千代は、文学に親しんで育った女性です。
女学校時代には作文を発表し、卒業後も文学仲間と交流。札幌では文芸同人誌『啓明』にも参加しました。
こうした創作の積み重ねから生まれたのが、デビュー作『脂粉の顔』だったのです。
時事新報の懸賞小説で一等に入選
1921年1月、『脂粉の顔』は『時事新報』の懸賞短編小説で一等に入選しました。
当選結果には、後に文学界で活躍する作家たちの名前も並んでいます。
| 結果 | 作者 |
|---|---|
| 一等 | 宇野千代 |
| 二等 | 尾崎士郎 |
| 三等 | 八木東作 |
| 選外 | 横光利一 |
二等の尾崎士郎は、後に宇野千代と結婚する作家です。横光利一も、この懸賞に作品を応募していました。
『脂粉の顔』の一等入選は、宇野千代が文学の世界へ進む大きな転機となります。
賞金200円が小説家への転機に
宇野千代が受け取った賞金は、200円でした。
当時としては、まとまった金額です。
小説を書き、懸賞への応募を続けていた宇野千代。自分の作品が一等に選ばれたことは、大きな励みになったことでしょう。
その後、宇野千代は『墓を発く』を執筆。
原稿を『中央公論』の編集長・瀧田樗陰へ送りましたが、なかなか返事が届きません。
そこで1922年、宇野千代は札幌から上京します。
『墓を発く』は『中央公論』に掲載され、小説家としての活動が本格化しました。
さらに1923年には、作品集『脂粉の顔』を改造社から刊行。こちらは藤村千代名義で出版されています。
1921年の懸賞入選から、1923年の作品集刊行へ。
『脂粉の顔』は、宇野千代の長い作家人生の出発点となったのです。
宇野千代『脂粉の顔』を読む方法
『脂粉の顔』は現在、岩波文庫『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』で読むことができます。
2019年に刊行された、宇野千代の初期作品を集めた一冊です。
収録作品は次の6編。
- 『脂粉の顔』
- 『墓を発く』
- 『巷の雑音』
- 『三千代の嫁入』
- 『ランプ明るく』
- 『老女マノン』
『脂粉の顔』から、1928年発表の『老女マノン』までを収録しています。
初期作品には、自らの生い立ちをモチーフにしたものや、社会の不正義に目を向けたものもあります。
恋愛小説家として知られる宇野千代。その意外な一面に触れられる一冊です。
小説家として歩み始めたころの作品を、まとめて読むことができます。
まとめ|『脂粉の顔』のあらすじと結末
以上、宇野千代の『脂粉の顔』のあらすじと結末、タイトルの意味についてご紹介しました。
『脂粉の顔』は、女給・お澄が外国人客フバーとの交流を通して、思いがけない屈辱を味わう物語です。
最後には60円を手にしますが、胸に残ったのは割り切れない思い。
華やかな恋愛よりも、女性の期待や劣等感、金銭では埋められない心の傷を描いた作品といえるでしょう。
また、『脂粉の顔』は1921年に懸賞小説で一等に選ばれた、宇野千代のデビュー作でもあります。
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