朝ドラ『ブラッサム』で、たびたび登場する清治(渡部篤郎さん)のカナリア。
清治は家族には厳しく接する一方、鳥かごのカナリアには静かに語りかけます。
なぜ清治は、これほどカナリアにこだわるのでしょうか。
この記事では、
- 清治がカナリアを大切にする理由
- 『ブラッサム』でカナリアが持つ意味
- 宇野千代と父・俊次のカナリアの史実
ブラッサム清治はなぜカナリアにこだわる?
清治にとって、カナリアはただのペットではないようです。
ブラッサム第2話では、鳥かごを見ながら、こんな言葉をつぶやきました。
「窮屈そうじゃのう、お前も」
(朝ドラ『ブラッサム』第2話)
気になるのは、最後の「お前も」という言葉です。
ブラッサム第3話では、清治自身も「自由」に強くこだわっていることが分かります。
清治は岩国の蔵元「葉野酒造」の長男。しかし家督は弟・清重に譲り、本家から毎月金を受け取って暮らしています。
弟から働くよう求められても、清治はこう言い切りました。
「わしは、一生自由に暮らす。そう決めたんじゃ」
(朝ドラ『ブラッサム』第3話)
すると清重は、「そがなあことしても、兄貴の窮屈は変わらん!」と返します。
自由に生きているように見える清治。
でも、その生活は葉野酒造から送られてくるお金に支えられています。
自由を求めているのに、本家との関係からは離れられない。
そんな清治がカナリアに「お前も」と話しかける姿を見ると、鳥かごの中のカナリアに自分を重ねているようにも見えてきます。
カナリアは清治自身を表している?
『ブラッサム』のカナリアは、清治の「自由」と「窮屈さ」を表しているように見えます。
鳥かごのカナリアは、餌をもらい、安全に暮らしています。でも、好きな場所へ自由に飛んでいくことはできません。
清治もどこか似ています。
働かず、酒を飲み、馬にも乗る。一見すると、誰よりも自由です。
その一方で、本家からのお金がなければ暮らしていけません。つまり清治の自由は、葉野酒造とのつながりの上に成り立っているのです。
第3話では、夜に一人でカナリアを見つめる清治を珠が目撃します。
昼間とは少し違う、静かな父の姿。そのあと珠は、「父について」の作文を書き上げました。
カナリアは、珠が清治の内側を知るきっかけにもなっているのかもしれません。
ただし、「カナリア=清治」と公式に説明されているわけではありません。
「窮屈そうじゃのう、お前も」という言葉や、清重との会話を重ねると、そのようにも読み取れるという考察です。
宇野千代の父もカナリアを飼っていた
ここで興味深いのが、カナリアはドラマだけの設定ではないこと。
主人公・珠のモデルとなった宇野千代の実家でも、実際にカナリアが飼われていました。
宇野千代の父・宇野俊次は、裕福な酒造家の家に生まれた人物です。
宇野家では、庭に鯉や金魚が泳ぎ、当時としては珍しかったカナリアも飼われていました。
俊次は「時計の間」と呼ばれる部屋から千代を呼び、鳥の餌になる「ひずり(ハコベ)」を取りに行かせていたといいます。
さらに、カナリアが逃げたときには、千代が探しに行かされました。
ここは『ブラッサム』とよく似ています。
ドラマでも、第1話から珠は清治のカナリアの餌を買いに行かされています。さらに第4話では、リョウがカナリアを逃がし、珠が探しに行くことになりました。
こうして比べると、宇野千代の少女時代と『ブラッサム』には共通するエピソードがありますね。
宇野千代が語った父・俊次
宇野千代は、父・俊次について印象的な言葉を残しています。
『幸福を知る才能』では、俊次について次のように振り返っています。
「一種の畸人ないし狂人だった」
(引用:宇野千代『幸福を知る才能』)
俊次は子どもたちには厳しい生活を求める一方、自身はかなり自由な生き方をしていました。
千代を呼びつけて鳥の餌を取りに行かせ、放課後に友達と遊ぶことも許さなかったといいます。
一方の俊次は、馬や博打などに金を使っていました。
こうした厳しい父と自由に生きる父という二面性も、『ブラッサム』の清治と重なるところがあります。
⇒ ブラッサム清治はなぜ働かない?本家から給金をもらう理由を解説
父の死後にもカナリアが登場
さらに印象的なのが、父・俊次が亡くなったあとの宇野千代の回想です。
宇野千代は『女の日記』で、父の死についてこう書いています。
「私は涙を滝のように流したがやはり何となく嬉しかった。」
(引用:宇野千代『女の日記』)
父を亡くした悲しみと同時に、これまでの生活から解放されたような気持ちもあったことが伝わります。
そして、父がいなくなった家には再びカナリアが登場します。
父の寝床が片付けられたあと、子どもの一人が飼っていたカナリアを見て笑いました。
最初は小さな笑いでしたが、誰にもとがめられないと分かると、子どもたちは大きな声で笑い始めたといいます。
ここでも、カナリアと「自由」が不思議な形で重なります。
ただし、『ブラッサム』の制作側が「自由の象徴」としてカナリアを登場させたとまでは断定できません。
分かっているのは、宇野千代の実家で実際にカナリアが飼われていたこと。そして千代が餌を取り、逃げたカナリアを探したことです。
さらに、父の死後の家庭を振り返る場面にもカナリアが登場しています。
ドラマでは、こうしたエピソードと重ねながら、清治の「窮屈さ」を感じさせる存在として描かれているのかもしれません。
まとめ|清治とカナリアの意味
以上、『ブラッサム』の清治とカナリアについてご紹介しました。
清治はカナリアに「窮屈そうじゃのう、お前も」と語りかけています。
自由に暮らしたいと願いながら、本家との関係からは離れられない清治。鳥かごのカナリアには、そんな清治自身の姿が重なって見えます。
そしてカナリアは、宇野千代の少女時代にも実際に登場します。
父・俊次がカナリアを飼い、千代が餌を取り、逃げたカナリアを探したというエピソードも残っています。
史実のカナリアと、ドラマで描かれる清治の「窮屈さ」。
この2つを重ねて見ると、これからカナリアが登場する場面も少し違って見えてきそうですね。
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