朝ドラ『ブラッサム』で、主人公・葉野珠の父として登場する葉野清治。岩国の蔵元に生まれながら家業を継がず、家族には厳しい父として描かれる人物です。
葉野清治の実在モデルとして考えられるのが、宇野千代の父・宇野俊次です。
この記事では、
- ブラッサムの葉野清治の実在モデルは誰なのか
- 宇野千代の父・宇野俊次はどんな人物だったのか
- 宇野千代と父・俊次の親子関係
- 葉野清治を演じる渡部篤郎さん
についてご紹介します。
ブラッサム葉野清治の実在モデルは宇野俊次?

朝ドラ『ブラッサム』の葉野清治の実在モデルは、宇野千代の父・宇野俊次と考えられます。ただし、『ブラッサム』は宇野千代の人生をそのまま再現したドラマではありません。
清治も、宇野千代をモデルとする主人公・葉野珠の父であり、家族背景にも共通点があることから、宇野俊次をもとに再構成された人物と見るのがよさそうです。
葉野清治は葉野珠の父
葉野清治の役どころをみてみましょう。
| 項目 | 葉野清治の設定 |
|---|---|
| ゆかり | 岩国 |
| 実家 | 蔵元「葉野酒蔵」 |
| 立場 | 葉野酒蔵の長男 |
| 家業 | 自分では継いでいない |
| 家庭での姿 | 家族へのしつけに厳しい父 |
一方、宇野千代の父・宇野俊次も、岩国にゆかりがあり、代々造り酒屋を営む宇野家の出身でした。葉野清治と宇野俊次には、次のような共通点があります。
- 岩国にゆかりがある
- 造り酒屋の家に生まれている
- 家業を継いでいない
- 家庭では厳しい父として描かれている
⇒ブラッサム本家の酒蔵モデルは?葉野酒造と清重の実在モデルを解説
宇野俊次との共通点
葉野清治と宇野俊次には、父親としての姿にも似ている部分があります。『ブラッサム』の葉野清治は、家族へのしつけに厳しい父です。
宇野千代が振り返った父・俊次も、家庭ではとても厳しい人物でした。その一方で、俊次自身はかなり自由に暮らしていたようです。
宇野千代は父について、次のような人物だったと書き残しています。
- 馬を何頭も飼っていた
- 競馬に出していた
- 博打をしていた
- さまざまな道楽を楽しんでいた
自分自身は自由に生きながら、子どもには厳しい父。少し複雑な人物だったことがわかります。
『ブラッサム』では、こうした宇野俊次の人物像が葉野清治にどこまで取り入れられるのかも気になるところです。
実在モデル・宇野俊次はどんな人?
では、葉野清治の実在モデルと考えられる宇野俊次は、実際にはどんな人物だったのでしょうか。
宇野千代本人の回想をたどると、なかなか個性的な父親だったことが見えてきます。
宇野俊次は酒造家の家に生まれた
宇野俊次は、現在の岩国市周東町にあたる高森の宇野家に生まれました。岩国市の「宇野千代―岩国の旅―」によると、俊次の実家・宇野家は代々続く造り酒屋で、財産家でもあったとされています。
宇野千代は1897年11月28日、現在の岩国市川西で誕生しました。当時の父母の年齢はこちらです。
| 家族 | 年齢 |
|---|---|
| 父・俊次 | 42歳 |
| 母・トモ | 24歳 |
しかし、母・トモは宇野千代を産んで約1年半後、肺結核で亡くなります。幼い宇野千代は一時、父方の実家がある高森に預けられました。
ここで注意したいのは、俊次自身が造り酒屋を経営していた、という意味ではないことです。「造り酒屋を営む裕福な一族に生まれた人物」と考えるとわかりやすいでしょう。
実母トモの死後にリュウと再婚
妻・トモを亡くした俊次は、その翌年、佐伯リュウと再婚しました。当時、リュウは17歳でした。
俊次とリュウの間には、その後5人の子どもが生まれます。
- 弟4人
- 妹1人
宇野千代にとっては、5人の異母きょうだいです。宇野千代は幼い弟や妹たちの面倒をよく見ていました。
自身でも「小さいお母さんになったような心持」と振り返っています。父・俊次、継母リュウ、そして多くの弟妹たちの中で、宇野千代は少女時代を過ごしました。
宇野俊次はどんな父親だった?
裕福な造り酒屋の家に生まれた俊次。しかし、宇野千代が残した父の姿は、「まじめに家業へ励む人物」とは少し違っています。
外では遊び好きで、家庭ではとても厳しい父でした。
家庭では厳しい父だった
宇野千代にとって、俊次は簡単には逆らえない父だったようです。子どもたちは、父の前では静かにしていました。
また、宇野千代が文学に興味を持つようになってからも、俊次は新聞や雑誌を読むことを許さなかったといいます。どうしても読みたいものがあると、宇野千代は厠へ行くふりをして、こっそり読んでいました。
さらに宇野千代は14歳のころ、父に命じられ、従兄の藤村亮一のもとへ嫁いでいます。しかし、結婚生活はわずか10日ほどで、すぐに実家へ戻りました。
俊次が娘の結婚を急いだ理由については、今回確認した公的資料では明確にはわかりませんでした。そのため、「なぜ14歳で結婚させたのか」は断定できません。
⇒ 宇野千代の結婚が10日で終わったのはなぜ?14歳の最初の結婚
遊び好きな一面もあった
子どもには厳しい父だった俊次。その一方で、自身はかなり道楽を楽しんでいたようです。
宇野千代は『生きて行く私』で、父について次のように振り返っています。
「馬を何頭も飼って競馬に出し、博打もし、あらゆる道楽をし」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
俊次が好んでいたものをまとめると、次のようになります。
- 馬
- 競馬
- 博打
- そのほかさまざまな道楽
さらに家の外では、「ひょうきんな遊び人」として知られていたという話も残っています。ところが、家庭では気難しく、子どもに厳しい父でした。
俊次には、次のような異なる一面があったようです。
| 家の外 | 家庭 |
|---|---|
| 遊び好き | 厳しい |
| ひょうきんな一面 | 気難しい |
| 自由に振る舞う | 子どもを厳しくしつける |
ひとことで「厳格な父」とだけ表すことのできない人物だったのかもしれませんね。
宇野千代と父・俊次の関係
宇野千代にとって、父・俊次は自分の自由を抑える存在でもありました。父の死は悲しい出来事でしたが、その後の宇野千代の生活には変化が訪れます。
父の死で宇野千代の生活が変化
俊次は1913年、宇野千代が16歳のころに亡くなりました。父の死に際して、宇野千代は激しく泣いたといいます。
その一方で、宇野千代は後年、次のようにも振り返っています。
「なんとなく嬉しかった」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
この言葉だけを見ると、少し驚きますよね。ただ、「父の死を喜んだ」と単純に受け取ることはできません。
宇野千代は父を失った悲しみと同時に、厳しく制限されてきた生活から解放されるような感覚も抱いていたのでしょう。俊次が亡くなったあと、宇野千代は文学作品に触れる機会が増えていきます。
- 詩を書く
- 散文を書く
- 雑誌へ投稿する
もちろん、「父が亡くなったから作家になった」とまでは言えません。宇野千代は女学校時代から作文の才能を見せていました。
ただ、文学へ自由に向き合える環境が生まれたことは、その後の人生につながるひとつの転機だったと考えられます。
⇒ ブラッサム清治の死因は?病気と宇野千代の父・宇野俊次の最期を史実から解説
父・俊次は宇野千代にとってどんな存在?
若いころの宇野千代にとって、俊次は自由を制限する厳しい父でした。一方で、俊次自身は馬や競馬など、好きなことに次々と手を出す人物でもありました。
自由に生きる父と、そんな父に厳しく育てられた娘。二人の関係は、単純に「仲が良かった」「不仲だった」と言い切れるものではありません。
宇野千代自身が残した言葉をたどると、怖かった父への複雑な思いがうかがえます。宇野千代にとって俊次は、少女時代の生活や、その後の生き方を考えるうえでも大きな存在だったのでしょう。
葉野清治役は渡部篤郎さん
『ブラッサム』で葉野清治を演じるのは、渡部篤郎さんです。

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 渡部篤郎さん |
| 生年月日 | 1968年5月5日 |
| 出身 | 東京都 |
| 役名 | 葉野清治 |
| 主人公との関係 | 葉野珠の父 |
| 朝ドラ出演 | 『ブラッサム』が初出演 |
渡部篤郎さんにとって、『ブラッサム』は初めての朝ドラです。出演発表では、約40年にわたる俳優生活の中で初めて朝ドラに出演し、ヒロインの父親役を務めることへの喜びを語っています。
葉野清治は、家族へのしつけに厳しい父。一方、実在モデルと考えられる宇野俊次にも、厳しさだけでは語れない一面がありました。
渡部篤郎さんが、葉野清治をどのような父親として演じるのかにも注目したいですね。
まとめ|葉野清治の実在モデルと宇野俊次
以上、朝ドラ『ブラッサム』の葉野清治の実在モデルと考えられる、宇野千代の父・俊次についてご紹介しました。
葉野清治と宇野俊次には、造り酒屋の家に生まれたことや、家庭では厳しい父だったことなど、いくつもの共通点がありますが、ドラマ独自の設定も探していくのも楽しそうです。
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