朝ドラ『ブラッサム』の主人公・葉野珠には、守・俊子・英男という3人の兄弟が登場します。
一方、葉野珠のモデルとなった宇野千代には、4人の弟と1人の妹がいました。『ブラッサム』の兄弟は、宇野千代の実在兄弟とどのように重なるのでしょうか。
この記事では、
- ブラッサムの兄弟モデル
- ブラッサム兄弟と宇野千代の実在兄弟の比較
- 宇野千代の5人の兄弟はどんな人だったのか
- 宇野千代と異母兄弟の関係
ブラッサムの兄弟モデルは?

『ブラッサム』で葉野珠の兄弟として登場するのは、葉野守・葉野俊子・葉野英男の3人です。守を日向亘さん、俊子を伊東蒼さん、英男を藤原大祐さんが演じます。
守は珠の弟で、葉野家の長男。家族思いで姉思いの、責任感が強い人物です。俊子は珠の妹で、工場で働きながら家計を支え、姉・珠の生き方にも影響を受けていきます。
英男は珠の弟で、葉野家の次男。家族に愛される素直な末っ子です。
一方、宇野千代には、父・宇野俊次と継母・リュウの間に生まれた薫・鴻・勝子・光雄・文雄という5人の異母兄弟がいました。
ドラマでは3人、実在では5人。兄弟の順番や立場を比べてみると、重なる部分が見えてきます。
ブラッサム兄弟と宇野千代の実在兄弟を比較
『ブラッサム』の兄弟と、宇野千代の実在兄弟を並べてみましょう。
| ブラッサムの兄弟 | 宇野千代の実在兄弟 | 共通する立場 |
|---|---|---|
| 葉野守 | 薫・鴻 | 年長の弟 |
| 葉野俊子 | 勝子 | 唯一の妹 |
| 葉野英男 | 光雄・文雄 | 年下の弟 |
葉野守と重なるのが、宇野千代の年長の弟である薫と鴻です。とくに薫は宇野千代との関わりが多く、鴻も薫と一緒に姉の引っ越しを手伝っています。
葉野俊子と重なるのは、5人の中で唯一の妹だった勝子です。そして葉野英男と重なるのが、年下の弟である光雄と文雄です。
では、実在した5人はどんな人物だったのでしょうか。
宇野千代の5人の兄弟はどんな人?
宇野千代は1897年、山口県岩国に生まれました。実母・トモが亡くなったあと、父・俊次は佐伯リュウと再婚します。
俊次とリュウの間に生まれたのが、薫・鴻・勝子・光雄・文雄の5人です。宇野千代にとって、母親の異なる4人の弟と1人の妹でした。
| 名前 | 生年 | 立場 | 宇野千代との主な関わり |
|---|---|---|---|
| 薫 | 1901年 | 長弟 | 仕事や引っ越しで姉を支えた |
| 鴻 | 1904年 | 次弟 | 薫とともに引っ越しを手伝った |
| 勝子 | 1906年 | 唯一の妹 | 大人になってからも姉との交流が続いた |
| 光雄 | 1908年 | 三弟 | 東京で千代と暮らした時期がある |
| 文雄 | 1911年 | 末弟 | 自伝に幼少期の姿が残る |
長弟・宇野薫
宇野薫は1901年生まれ。5人の中では一番年上の弟で、宇野千代を身近で支えた存在でした。
宇野千代が雑誌販売の仕事を始めようとしたころ、薫は地元の人脈を使うよう姉に助言しています。そのころの薫について、宇野千代は次のように振り返りました。
「姉の片腕になった積もり」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
言葉だけでなく、薫は行動でも姉を支えています。宇野千代が代用教員として新しい土地へ移る際には、鴻と一緒に荷車を引きました。
姉思いで頼りになる長弟という点では、『ブラッサム』の葉野守と重なる部分があります。
次弟・宇野鴻
宇野鴻は1904年生まれ。薫に続く次男で、宇野千代が若いころから姉を支えた弟です。
宇野千代が代用教員になるため引っ越したときには、薫と鴻が荷物を運びました。『生きて行く私』には、その様子が記されています。
「薫と鴻が替わる替わる車を引っ張って、やってくれた。」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
新しい仕事へ向かう姉のために、弟2人が荷車を引く。宇野千代と兄弟の距離の近さが感じられるエピソードです。
『ブラッサム』の葉野守を考えるときも、薫だけでなく、鴻を含めた年長の弟たちを見るとイメージしやすいでしょう。
妹・宇野勝子
宇野勝子は1906年生まれ。5人の異母兄弟の中で、ただ一人の妹でした。
『ブラッサム』の葉野俊子も、珠にとって唯一の妹です。兄弟の中での立場では、勝子とよく重なります。
勝子については、薫や光雄ほど多くのエピソードが残っているわけではありません。ただ、『生きて行く私』には、宇野千代が故郷を訪れた際、勝子が姉に昔の知人の近況を教える場面も登場します。
また後年、勝子は幼い男の子を養子に迎えました。その子は宇野千代とも交流を持ち、宇野千代自身が「純夫」と名付けています。
大人になってからも続いた姉妹のつながりが感じられるエピソードです。
三弟・宇野光雄
宇野光雄は1908年生まれ。成人後も宇野千代の生活に深く関わった弟の一人です。
宇野千代が東郷青児と暮らしていたころには、光雄も同じ家から仕事へ通っていました。宇野千代は『生きて行く私』で、そのころの光雄について触れています。
「光雄は小樽の高商を出て、読売新聞に入社し」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
さらに、宇野千代が東郷青児との生活を終え、家から荷物を運び出したときにも光雄はそこにいました。大切な箪笥に傷がつきそうになると、光雄が運搬する人に強く注意したという場面も残っています。
1941年、宇野千代は光雄危篤の知らせを受け、旅行先から帰国しました。同年6月、光雄は亡くなっています。
一緒に暮らした時期もあり、宇野千代にとって身近な存在だった弟であることがわかります。
末弟・宇野文雄
宇野文雄は1911年生まれ。5人の異母兄弟の末弟で、宇野千代とは10歳以上離れていました。
『生きて行く私』には、幼い文雄の姿が印象的に描かれています。宇野千代が故郷へ帰った際、文雄は人力車の乗り方がわからなかったそうです。
「上がり口の踏み台のところに、ちょこんどしゃがんでいた。」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
幼い文雄の姿が目に浮かぶような場面ですね。末弟だった文雄は、兄弟の中でも宇野千代が特に世話をする年齢の弟だったと考えられます。
『ブラッサム』の葉野英男も、家族に愛される末っ子として登場します。末弟という立場では、文雄との共通点がわかりやすいでしょう。
宇野千代と異母兄弟の関係
宇野千代と5人の兄弟は、母親こそ違いましたが、同じ家庭で育ちました。そこには継母・リュウの存在も大きく関わっています。
弟妹の世話をして育った
宇野千代は、次々に生まれる弟妹の世話をして育ちました。岩国市の「宇野千代―岩国の旅―」では、当時の宇野千代の気持ちが紹介されています。
「小さいお母さんになったような心持」
(引用:『わたしの青春物語』宇野千代)
宇野千代は姉でありながら、小さな母親のような役割も担っていました。やがて薫や鴻が成長すると、今度は弟たちが姉を支えるようになります。
姉が弟妹を支え、成長した弟たちが姉を支える。宇野千代と兄弟の関係は、そんな形で続いていったようです。
継母リュウが分け隔てなく育てた
宇野千代と5人の異母兄弟の関係を考えるうえで、継母・リュウの存在も欠かせません。リュウには自分が産んだ5人の子どもがいましたが、継子である千代も大切にしました。
『生きて行く私』には、家におはぎなどが届いたときの出来事が書かれています。
「姉さまがお戻りてから分けて上げるけえ」
(引用:『生きて行く私』宇野千代)
千代が帰るまで、実の子どもたちにも食べさせなかったというのです。宇野千代は、こうしたリュウの接し方を「芝居などで見る継子いじめの反対」と振り返っています。
実の子どもを優先するのではなく、千代を「姉さま」として立てる。そんなリュウの育て方も、宇野千代と5人の異母兄弟の関係につながっていったのでしょう。
参考:
岩国市「宇野千代―岩国の旅― 岩国に生まれる」
宇野千代顕彰会「宇野千代私製年譜」
まとめ|ブラッサムの兄弟モデルと宇野千代の実在兄弟
以上、ブラッサムの兄弟モデルと、宇野千代の実在兄弟についてご紹介しました。
『ブラッサム』では守・俊子・英男という3人の兄弟が登場します。一方、宇野千代には薫・鴻・勝子・光雄・文雄という5人の異母兄弟がいました。
実在した5人を詳しく見ていくと、宇野千代を支えた弟、唯一の妹、幼い末弟など、それぞれ違った関係が見えてきます。
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