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画像|新庄剛志の高校時代を大調査!野球成績から意外なエピソードまで

日本ハムファイターズの監督・新庄剛志さん。

プロ野球現役時代を記憶している人も多いと思いますが、新庄剛志さん高校時代はどんな感じだったのでしょう

今回は、新庄剛志監督の高校時代を調査。野球成績や、甲子園には出場したのか、また心温まるエピソードなど、画像を交えご紹介します。

 

【画像】新庄剛志の高校時代

新庄剛志さんが卒業した高校は、「西日本短期大学附属高等学校」

スポーツにおいては福岡県屈指の強豪校です。

 

さっそく、高校時代の新庄選手の画像をみてみましょう。

新庄剛志の高校時代1

現役時代を思い出させてくれる、スイング。

高校時代からあまり変わってないようですね。

 

福岡県内で甲子園出場への切符を手にするためには、大きな壁と言われる常連校に勝利することが大切ですが、

 

福岡では「東福岡」をはじめとした「福岡大学附属大濠」「九州国際大学附属」や、長い歴史と伝統を持つ「柳川」等の歴戦の強者が立ちはだかります。

その中で「全国制覇」を合言葉に日々練習に明け暮れる毎日です。

 

では簡単に西日本短大附属高校についてご紹介しましょう。

西日本短大附属高校

出典:https://resumedia.jp/32633.html

  • 福岡県の茶どころとして有名な「八女市」に位置
  • 生徒数約387名(2023年)と規模的には比較的こじんまりしたのどかな雰囲気の高校
  • 女優の「田中麗奈さん」の出身高校

普通科の中にも専門コースがいくつか別れていますが、

新庄剛志さんは「健康スポーツコース」に属していました。

 

また、注目すべきは学校の教育方針。

 

「宇宙精神」と「報恩感謝」

という一風変わった表現をしていますが、皆さん覚えていますか?

 

かつて「故・野村克也さん」が阪神タイガースの監督時代に、新庄剛志さんについて

「あいつは宇宙人だよ」

と評していますね。

新庄剛志と野村克也監督

「宇宙精神」を掲げる学校で高校時代を過ごした新庄剛志さん。

 

そんな彼と、数年後同じユニフォームを着た指導者が、

「あいつは宇宙人」だよと語るなんて、ちょっと面白いですね。

 

話が外れてしまいましたが、

新庄剛志さんの高校時代は、まだ軍隊に似た厳しいスパルタ指導だったようです。

 

授業が終わる16時から夜中の12時までみっちり野球漬けの3年間。

もともと強靭なスタミナの持ち主だった新庄剛志さんもさらにパワーアップしたことでしょう。

 

新庄剛志の高校時代の野球成績ー甲子園出場は?

新庄剛志の高校時代2

西日本短大附属高校は、1986年夏の「全国高等学校野球選手権大会」で甲子園初出場。

 

以来、春夏通じて7回の出場を経験していますが(2021年まで)、

新庄剛志さんは、高校時代、甲子園の土を踏むことは出来ませんでした

 

しかし、新庄さんの人並外れた身体能力は、高校時代からプロのスカウトの目に留まります。

エースで4番を任されていましたから下馬評では甲子園まで上り詰める予想だったようです。

 

なお、高校時代の新庄剛志選手の野球成績ですが、

高校3年生のとき、1番・中堅手として挑んだ第71回全国高等学校野球選手権福岡大会において、

  • 4回戦・筑紫丘戦(久留米市野球場)で、練習試合を含む高校時代初のサヨナラ安打(8回コールドゲーム)
  • 決勝の福岡大大濠戦(久留米)では、生涯初のサイクル安打

といった記録を残しています。

 

新庄剛志の高校時代のエピソード

新庄剛志

ではここで、新庄剛志さんの高校時代のエピソードをご紹介していきましょう。

 

エピソード①気配りがすごい

新庄剛志さんが過ごした高校時代、とにかく厳しい練習に耐え凌ぐ日々でした。

 

そんな中で、全てのチームメイトが新庄剛志さんを慕っていたようです。

 

とにかく周囲に気配りが出来る人で、

  • 「ナイスプレー!、良いね」
  • 「こうしてみたらどうだろう」

など、とにかく声掛けの名人であり、その気にさせる達人だったよう。

 

キツい練習では声を出すのさえしんどいものですが、

新庄剛志さんは、そこを察知してか自ら進んで声を出すムードメーカーだったと聞きます。

 

エピソード②後輩にやさしい

新庄剛志さんは、とにかく優しい人です。

全寮制のチームは特に先輩後輩が厳しく体罰など当たり前の時代でしたが、新庄さんだけは後輩に一切そんなことはしませんでした。

 

自分も下級生時代はたくさん受けたであろう体罰ですが、自分がされて嫌なことは後輩には絶対しないというのを地でいく人だったようです。

 

エピソード③発言に責任を持つ

また、決して願望で物を言わない、芯の強い「男」だったようです。

普通なら「プロの道に進みたい」というところを、新庄剛志さんだけは「プロになる」と断定形で発言する人でした。

 

これは

「自分の発言には責任を持ち、より目標に近づくようにする」

という、ひとつの新庄流自己啓発術なのかもしれませんね。

 

当時のチームを率いた西村慎太郎監督は、次のようにコメント。

現在の言動も目標を実現するためにまずはキーワードを作って、彼なりに考えて言葉を発しているようにしか見えません。注目されるためではなく、純粋に思っていることを言葉に出しているのだと思います。

引用:高校野球ドットコム

さらに、

全体練習が終わる0時以降も1時2時まで当たり前のようにバットを振っていました。彼の高校時代はコツコツと練習しているイメージしかないです。

引用:日刊ゲンダイDIGITAL

と語っています。

 

これらのエピソードを知ると、これまで描いていた「新庄剛志」という人物像とは全く違うと感じる方も多いのではないでしょうか?

 

単なる「野球小僧」でもなければ、賑やかし好きの人物ではないですよね。

 

真摯に野球と向き合い、人にはありったけの愛情とリスペクトで接する紳士なんだと思います。

 

今でも、母校の西日本短大附属高校に、激励のためのTシャツやマイクロバスを寄贈したりと、太っ腹な新庄剛志監督。

偉大なOBを持つ西日本短大附属高校の野球部のみなさんにも頑張ってほしいですね!

 

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