朝ドラ『ブラッサム』に登場する小山牛丸は、主人公・葉野珠が愛読する『イワンの馬鹿』を翻訳した人物です。
年齢不詳で神出鬼没。まるで仙人のような不思議な翻訳家ですが、実在モデルはいるのでしょうか。
この記事では、
- 小山牛丸の実在モデルと考えられる4人
- 『イワンの馬鹿』の翻訳者と時代背景
- 小山牛丸と宇野千代の関係
- 小山牛丸役のイッセー尾形さん
についてご紹介します。
ブラッサム小山牛丸のモデル候補は4人?

小山牛丸の実在モデルは、公式には発表されていません。
ただ、明治から大正にかけて活躍した文学者のなかには、小山牛丸と共通点を持つ人物がいます。
モデル候補として考えられるのは、次の4人です。
| 人物 | 生没年 | 小山牛丸との共通点 |
|---|---|---|
| 内田魯庵 | 1868〜1929年 | 『イワンの馬鹿』を翻訳 |
| 二葉亭四迷 | 1864〜1909年 | ロシア文学の翻訳家 |
| 徳富蘇峰 | 1863〜1957年 | 言論界で活躍し、トルストイと交流 |
| 徳冨蘆花 | 1868〜1927年 | 作家・翻訳家で、トルストイと交流 |
ただし、二葉亭四迷は珠が東京で暮らし始める前に亡くなっています。
それぞれの経歴と年代を比較してみましょう。
内田魯庵は『イワンの馬鹿』の翻訳者
内田魯庵(うちだ・ろあん)は、1868年生まれの小説家・評論家・翻訳家です。
ロシア文学をはじめ、海外作品を数多く日本に紹介しました。
注目したいのは、1906年にトルストイの『イワンの馬鹿』を翻訳・刊行したことです。
これは、小山牛丸と共通する具体的な経歴ですね。
ドラマでは、1913年に16歳の珠が『イワンの馬鹿』を愛読しています。内田魯庵の翻訳書が刊行されてから7年後のことです。
さらに、珠が東京で文学者たちと交流する1917年頃も、内田魯庵は翻訳家・評論家として活動していました。
亡くなったのは1929年6月29日、61歳のとき。
つまり、翻訳した作品も、活動していた年代もドラマの設定と一致しています。
こうした共通点から、内田魯庵は小山牛丸のモデルとして特に注目したい人物です。
⇒ ブラッサム「イワンの馬鹿」はどんな話?珠が夢中で読んだ小説を解説
二葉亭四迷はロシア文学の翻訳家
二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)は、1864年生まれの小説家・翻訳家です。
1887年に発表した『浮雲』は、日本の近代小説を代表する作品の一つとして知られています。
ロシア文学にも精通し、ツルゲーネフの『あひびき』『めぐりあひ』などを翻訳しました。
海外文学を日本に紹介した点では、小山牛丸とよく似ています。
ただし、年代には大きな違いがありました。
二葉亭四迷が亡くなったのは1909年5月10日。45歳でした。
1913年に珠が『イワンの馬鹿』を読んでいたときには、すでに亡くなっていたのです。
そのため、珠が東京で直接出会う翻訳家のモデルとしては年代が合いません。
一方、内田魯庵と二葉亭四迷は同時代の文学者で、親交もありました。
内田魯庵は二葉亭四迷の死後、『二葉亭四迷の一生』という文章も残しています。
ロシア文学に精通した人物像など、一部の特徴が小山牛丸に取り入れられた可能性はあるでしょう。
徳富蘇峰・徳冨蘆花兄弟との共通点
ほかに候補として挙げられるのが、徳富蘇峰(とくとみ・そほう)と徳冨蘆花(とくとみ・ろか)の兄弟です。
兄の徳富蘇峰は1863年生まれ。明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト・評論家・歴史家です。
1887年に民友社を設立し、雑誌『国民之友』を創刊。1890年には『国民新聞』も創刊しました。
さらに1896年には、ロシアの文豪トルストイと面会しています。
1917年には54歳。言論界の重鎮として活躍しており、年代的にも小山牛丸の設定と矛盾しません。
一方、弟の徳冨蘆花は1868年生まれ。代表作『不如帰』で知られる小説家です。
若い頃は兄の民友社で働き、翻訳や小説の執筆に取り組んでいました。
蘆花もトルストイの思想に強く影響を受け、1906年にはロシアを訪問して直接面会しています。
その翌年には東京郊外へ移り、農業を取り入れた暮らしを始めました。
こうした世俗から少し距離を置いた暮らしぶりは、仙人のような小山牛丸の人物像を思わせます。
蘆花が亡くなったのは1927年。1910年代後半も作家として活動しており、こちらも年代的には問題ありません。
徳富兄弟には、トルストイとの交流や独特な人物像など、小山牛丸に通じる点があります。
ただし、『イワンの馬鹿』を翻訳したという共通点では、内田魯庵のほうが明確です。
こうして比較すると、小山牛丸には複数の文学者を思わせる特徴があることがわかりますね。
ブラッサム小山牛丸は仙人のような翻訳家
小山牛丸は、珠が愛読する海外文学作品の翻訳家です。
人物設定は、「年齢不詳、神出鬼没」。まるで仙人のような、つかみどころのない人物として紹介されています。
ブラッサム第6話では、高等女学校に通う珠がトルストイの『イワンの馬鹿』を読んでいましたね。
当時の珠は、学校で教えられる「良妻賢母」の価値観に窮屈さを感じていた。
もっと自由に生きたい。自分の気持ちを表現したい。
そんな思いを抱きながら、友人たちと同人誌『黎明』を制作し、文章を書く楽しさに目覚めていきます。
その後、故郷の岩国を離れて東京へ向かった珠。
10月26日放送のブラッサム第21話では、東京・本郷の書店で若手作家の秋山格之介や小山牛丸と出会い、大きな刺激を受ける展開が予定されています。
愛読していた作品の翻訳家と、思いがけず出会うことになった珠。
文学の世界に憧れる珠にとって、小山牛丸は印象深い存在となりそうです。
⇒ ブラッサム「黎明」にモデルはある?宇野千代の「海潮音」「海鳥」と比較
小山牛丸と珠をつなぐ『イワンの馬鹿』
小山牛丸を語るうえで欠かせないのが、トルストイの『イワンの馬鹿』です。
1885年に発表されたロシアの民話風の作品で、日本でも明治時代から翻訳されてきました。
主人公は、素朴で働き者の青年イワンです。
イワンには、軍人の兄シモンと、商売で財をなした兄タラスがいました。
2人の兄が権力や財産を求める一方、イワンは毎日こつこつと畑仕事に励みます。
そこへ悪魔たちが現れ、兄弟を仲たがいさせようと企みます。
ところが、欲のないイワンには悪魔たちの策略が通じません。
イワンは争いを避けながら、自分らしい生き方を貫いていくのです。
この物語で描かれるのは、富や権力よりも、誠実に働き、争わずに生きることの大切さです。
当時の珠は、父親の決めた縁談や、女性はこうあるべきという社会の価値観に悩んでいました。
そんな珠にとって、周囲に流されず生きるイワンの姿は、心に響くものがあったのかもしれません。
珠が『イワンの馬鹿』を愛読していたことにも、物語上の意味を感じますね。
そして、その作品を翻訳した小山牛丸との出会い。
文学への情熱を深める珠に、どのような影響を与えていくのでしょうか。
⇒ ブラッサム「イワンの馬鹿」とはどんな話?珠が夢中で読んだ小説を解説
小山牛丸実在モデルと宇野千代に史実の接点は?
『ブラッサム』の主人公・葉野珠のモデルは、作家の宇野千代です。
宇野千代は1897年、山口県岩国に生まれました。
岩国高等女学校を卒業後、小学校の代用教員として働きます。しかし、恋文をめぐる問題から教壇を去ることになりました。
その後は京城や京都、東京などで暮らし、さまざまな職業を経験します。
1917年には東京で生活し、文学者たちとの交流も広がっていきました。
大きな転機となったのは、1921年に小説『脂粉の顔』が『時事新報』の懸賞小説で一等に入選したことです。
この出来事をきっかけに、宇野千代は作家としての道を歩み始めます。
ドラマでも、珠は東京で多くの文学者と出会い、自分の作品を世に出そうと奮闘しますね。
小山牛丸は、そうした珠の成長に関わる人物の一人。
宇野千代の文学者との交流は広く知られていますが、内田魯庵や徳富兄弟が、小山牛丸のように珠を導く存在だったとまでは判断できません。
また、二葉亭四迷は宇野千代が12歳になる前に亡くなっています。
小山牛丸は、実在の文学者たちの経歴や人物像を取り入れたキャラクターとして考えることもできそうです。
ブラッサム小山牛丸役はイッセー尾形

朝ドラ『ブラッサム』で小山牛丸を演じるのは、俳優のイッセー尾形さん。
イッセー尾形さんは1952年2月22日、福岡県生まれ。1971年から演劇活動を始めました。
特に有名なのが、一人でさまざまな人物を演じ分ける「一人芝居」です。
身近にいそうな人物のしぐさや話し方を細やかに表現し、独自の演劇スタイルを築いてきました。
映画やテレビドラマでも活躍しており、朝ドラには『凜凜と』『つばさ』『まんぷく』『スカーレット』などに出演。
『ブラッサム』が5作目の朝ドラ出演となります。
出演発表時には、小山牛丸について次のようにコメントしています。
「牛丸、どんな人物かは知りませんが、私が牛丸だ、みたいな気持ちでぶつかります。」
(引用:MANTANWEB)
年齢不詳で神出鬼没という、個性的な小山牛丸。
さまざまな人物を一人芝居で演じてきたイッセー尾形さんに、ぴったりの役どころかもしれませんね。
どんな不思議な翻訳家を見せてくれるのか楽しみです。
以上、ブラッサム小山牛丸の実在モデルについてお伝えしました。
小山牛丸のモデル候補のなかで、年代と『イワンの馬鹿』の翻訳実績が一致するのは内田魯庵です。
徳富兄弟にも共通点がありますが、二葉亭四迷は年代が合いません。
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