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朝ドラ ブラッサム

ブラッサム木村保の実在モデルは?宇野千代の夫・藤村忠

朝ドラ『ブラッサム』に登場する木村保(金子大地さん)。

主人公・葉野珠のいとこで、学業優秀な青年です。

そんな木村保には、実在モデルと考えられる人物がいます。宇野千代の従兄で、のちに夫となった藤村忠です。

この記事では、

  • ブラッサム木村保の実在モデル
  • 木村保と藤村忠の共通点
  • 藤村忠と宇野千代の関係
  • 宇野千代が作家になるまでの二人の生活
についてご紹介します。

▶朝ドラ「ブラッサム」のあらすじ

 

ブラッサム木村保の実在モデルは藤村忠

宇野千代と藤村家

木村保の実在モデルと考えられるのが、宇野千代の従兄・藤村忠です。

木村保は、珠の叔母・木村照子の次男。珠とはいとこ同士にあたります。

一方、史実の藤村忠も宇野千代の母方の従兄でした。

しかも、共通するのは血縁関係だけではありません。二人の経歴を比べると、いくつもの重なりが見えてきます。

 

木村保と藤村忠の共通点

まずは、木村保と藤村忠を比べてみましょう。

ブラッサム・木村保 実在・藤村忠
珠のいとこ 宇野千代の従兄
木村照子の次男 宇野千代の伯母の息子
木村享一の弟 藤村亮一の弟
京都の第三高等学校で学ぶ 京都の第三高等学校で学ぶ
帝大への進学を目指す 東京帝国大学へ進学
珠と親しくなる 宇野千代と生活をともにし、のちに結婚

なかでも注目したいのが、兄との関係です。

珠が若くして嫁いだ木村享一。その弟が木村保でした。

宇野千代も14歳のころ、従兄の藤村亮一のもとへ嫁入りしています。ただ、その生活は長く続かず、10日ほどで実家へ戻りました。

そして藤村亮一の弟が、藤村忠です。

兄弟関係だけでなく、「三高」「帝大」という学歴まで共通しています。

 

ブラッサム木村享一のモデルは?宇野千代の結婚と離婚を史実から解説

 

ブラッサムの木村保はどんな人物?

ブラッサム木村保

木村保を演じるのは、金子大地さんです。

保は木村照子の次男で、珠のいとこ。学業に秀で、ユニークな一面も持つ青年です。

落ち着いた雰囲気があり、どこか飄々とした人物として描かれています。

 

珠のいとこで木村享一の弟

木村保の兄は、珠の縁談相手となった木村享一です。

珠にとって保は、子どものころから知るいとこであり、享一の弟でもありました。

この関係は、宇野千代と藤村兄弟の関係によく似ています。

宇野千代の実母・トモの姉には、藤村亮一と藤村忠という2人の息子がいました。

宇野千代は14歳で兄・亮一のもとへ嫁入り。その後、深い関係になったのが弟の忠です。

ドラマと史実を並べると、兄弟の配置までよく似ていることがわかります。

 

珠と保は手紙を交わすように

『ブラッサム』では、京都の第三高等学校に通う保が岩国へ帰省し、珠と話す機会が増えていきます。

やがて、保が京都へ戻ることに。二人は手紙を交わす約束をしました。

今後のあらすじでは、保は帝大進学を決めて東京へ向かいます。珠も岩国を離れ、保を頼って上京する流れが描かれる予定です。

この展開もまた、宇野千代と藤村忠の若いころを思わせます。

 

木村保のモデル・藤村忠とは?

宇野千代と藤村忠

藤村忠は、宇野千代の母方の従兄です。

忠の母は、宇野千代の実母・トモの姉。兄には藤村亮一がいました。

宇野千代が14歳で嫁入りした相手が、その藤村亮一です。

つまり藤村忠は、

  • 宇野千代の母方の従兄
  • 藤村亮一の弟

という人物でした。

 

三高から東京帝国大学へ

宇野千代が19歳のころ、岩国で藤村忠と再会します。

当時の藤村忠は、京都の第三高等学校、いわゆる「三高」の学生でした。

宇野千代は後年、そのときの姿を『生きて行く私』に書き残しています。

「帽子には、三本の白線が入っている。」

(引用:『生きて行く私』宇野千代)

三本の白線が入った学生帽。

藤村忠が三高の学生であることが、ひと目でわかる姿でした。

のちに藤村忠は東京帝国大学へ進学します。

 

『ブラッサム』の木村保も三高に通い、帝大への進学を目指す設定ですね。

 

藤村忠と宇野千代の関係

宇野千代と藤村忠は、岩国での再会をきっかけに距離を縮めていきます。

その後の舞台は、京都から東京、そして札幌へ。

 

二人の歩みを時系列で見てみましょう。


  • 1916年ごろ 京都へ

    宇野千代が藤村忠を頼って京都へ向かいます。


  • 1917年 東京へ

    藤村忠の東京帝国大学進学に伴い、宇野千代も上京。


  • 1919年 藤村忠と結婚

    宇野千代と藤村忠が結婚。


  • 1920年 札幌へ

    藤村忠の北海道拓殖銀行就職を機に、二人は札幌へ移る。


  • 1921年 『脂粉の顔』が一等に

    宇野千代の『脂粉の顔』が時事新報の懸賞小説で一等に選ばれる。


  • 1922年 尾崎士郎と出会う

    『墓を発く』が『中央公論』に掲載され、東京で尾崎士郎と出会う。


  • 1924年 藤村忠と協議離婚

    藤村忠との結婚生活に終止符を打つ。


 

藤村忠を頼って京都へ

小学校の代用教員を辞めた宇野千代は、いったん朝鮮へ渡ります。

その後、岩国へ戻り、向かった先は京都。頼った相手が藤村忠でした。

当時、忠は三高の学生です。

宇野千代は京都で藤村忠と暮らし始めました。

ここから、二人で過ごす日々が始まります。

 

東京で始まった苦しい生活

1917年、藤村忠は東京帝国大学へ進学します。

宇野千代もともに上京しました。

ところが、東京での暮らしには余裕がありません。

実家からの仕送りが止まり、宇野千代が生活費を稼ぐことになります。

家庭教師や店員など、仕事を転々とする日々。本郷の西洋料理店「燕楽軒」で働いたこともありました。

燕楽軒には文学者たちが出入りしていました。

生活は苦しくても、宇野千代にとっては文学の世界が身近になっていく時期でもあったのです。

 

1919年に結婚して札幌へ

1919年8月、宇野千代と藤村忠は結婚。

翌1920年、藤村忠が北海道拓殖銀行へ就職すると、二人は札幌へ移ります。

宇野千代は家事をこなしながら、得意だった裁縫を生かして仕立物もしていました。

京都、東京、札幌。

藤村忠の進学や就職に合わせて、暮らす場所も次々と変わっていきます。

そして札幌で、宇野千代の人生を変える一作が生まれました。

 

藤村忠との結婚中に宇野千代は作家へ

札幌で暮らしていた宇野千代は、小説を書き始めます。

生まれた作品が『脂粉の顔』。

藤村忠との結婚生活のなかで、宇野千代は作家への第一歩を踏み出しました。

 

『脂粉の顔』で作家への道へ

1921年、『脂粉の顔』が時事新報の懸賞小説で一等に選ばれます。

賞金は200円。宇野千代は24歳でした。

これをきっかけに、小説を書く道が大きく開けていきます。

続いて書いたのが『墓を発く』です。

原稿を中央公論社へ送ったものの、なかなか返事が届きません。

そこで宇野千代は、採否を確かめるため東京へ向かいました。

結果は掲載決定。原稿料は366円でした。

教師や店員として働いていた宇野千代が、自分の文章でお金を得る作家へ。

札幌生活は、まさに大きな転換点でした。

 

尾崎士郎との出会いで別々の道へ

『墓を発く』の掲載が決まったあと、宇野千代はいったん岩国へ帰ります。

その後、札幌へ戻る途中で東京に立ち寄りました。

そこで出会ったのが、作家・尾崎士郎です。

 

尾崎士郎は、『脂粉の顔』が一等になった懸賞小説で二等に入っていた人物でした。

二人は急速に親しくなります。

そして宇野千代は、札幌へ戻りませんでした。

 

1924年4月、藤村忠との協議離婚が成立。

同じ年、宇野千代は尾崎士郎と正式に結婚します。

京都、東京、札幌と、藤村忠とともに暮らした数年間。

その間に宇野千代はさまざまな仕事を経験し、やがて小説を書き始めました。

まだ無名だった宇野千代が、作家として歩き始めた時代です。

⇒ 宇野千代と藤村忠はなぜ離婚した?札幌生活と別れの経緯

 

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参考: NPO宇野千代生家「宇野千代と藤村忠」
山口県観光サイト「作家・宇野千代とは?」
宇野千代顕彰会「宇野千代私製年譜」

 

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