朝ドラ『ブラッサム』で、葉野珠が働く西洋レストラン「悠樂軒(ゆうらくけん)」。
その実在モデルと考えられるのが、東京・本郷にあった「燕楽軒(えんらくけん)」です。
主人公のモデル・宇野千代も、ウェイトレスとして働いていました。しかし、その期間はわずか18日間!
この記事では、
- 悠樂軒の実在モデル・燕楽軒の歴史
- 燕楽軒があった場所と現在の住所
- 宇野千代が18日間で辞めた理由
- 文豪たちとの出会いとドラマとの違い
についてご紹介します。
ブラッサム悠樂軒の実在モデルは「燕楽軒」

朝ドラ『ブラッサム』の悠樂軒は、実在した西洋料理店「燕楽軒」がモデルと考えられます。
燕楽軒は、大正時代の東京・本郷三丁目にあったレストラン。作家や編集者が集まり、文学談議を交わす場所でもありました。
文豪が集まる西洋料理店だった
燕楽軒を開いたのは、西洋料理の料理人・西尾益吉です。
西尾は、築地精養軒で料理長を務めた名料理人。燕楽軒でも本格的な西洋料理を提供していました。
建物は3階建ての立派な洋館。
周辺の学生向け食堂では10〜15銭で食事ができたのに対し、燕楽軒のランチは1円ほどしたといいます。
当時としては、かなり高級なレストランだったのですね。
さらに、本郷には東京帝国大学があり、学生や知識人が多く暮らしていました。
燕楽軒にも、芥川龍之介や久米正雄、菊池寛といった作家たちが来店。
若き日の宇野千代も、この店で文学の世界を間近に見ることになったのです。
燕楽軒があった場所は現在のどこ?
燕楽軒があったのは、現在の東京都文京区本郷4丁目37-13付近です。
本郷三丁目交差点から東京大学の赤門方面へ進み、菊坂に入る角地に建っていました。
燕楽軒の跡地は本郷4丁目37-13
燕楽軒の所在地を現在の住所で整理しました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 店名 | 燕楽軒(えんらくけん) |
| 現在の住所 | 東京都文京区本郷4丁目37-13付近 |
| 目印 | 本郷三丁目交差点から北へ約100m |
| 最寄り駅 | 本郷三丁目駅 |
| 跡地の建物 | 漆原ビル文京センター |
現在、燕楽軒の建物は残っていません。
跡地とされる場所には、漆原ビル文京センターというオフィスビルが建っています。
本郷三丁目駅から徒歩2〜3分ほど。文学好きの方なら、一度訪れてみたい場所ですね。
燕楽軒跡地のGoogleマップ
現在の場所はこちらです。
燕楽軒の近くには、文豪たちが暮らした「菊富士ホテル」もありました。
宇野千代も後年、このホテルで作家・尾崎士郎と同棲生活を始めています。
菊富士ホテルの跡地は、現在の文京区本郷5丁目5番付近。
こちらも当時の建物は残っていませんが、菊坂周辺には昔ながらの路地や坂道が続いています。
宇野千代ゆかりの文学散歩を楽しめるエリアです。
宇野千代が燕楽軒で働いたのは18日間!
宇野千代が燕楽軒で働いたのは、1917(大正6)年、20歳の頃です。
驚くことに、勤務期間はわずか18日間!
いったい、なぜこれほど短期間で辞めてしまったのでしょうか。
生活費を稼ぐためにウェイトレスに
1917年8月、宇野千代は従兄の藤村忠とともに上京しました。
藤村忠は東京帝国大学法学部へ進学。しかし、実家からの仕送りはあてにできず、生活は苦しいものでした。
そこで、宇野千代も働き始めます。
当時経験した仕事は、次のようなものでした。
- 雑誌社の事務員
- 家庭教師
- 商店の店員
- 西洋料理店のウェイトレス
燕楽軒での仕事も、生活費を稼ぐために始めたものでした。
ところが、この店には思いがけない魅力がありました。
それは、有名な作家や編集者と直接顔を合わせられること。
文学好きだった宇野千代にとって、燕楽軒は特別な場所になっていきます。
18日間で辞めた理由は質屋のお金
宇野千代が燕楽軒を辞めた理由は、意外なものでした。
なんと、質屋に預けていた品物を取り戻すお金が貯まったからだったのです。
当時の宇野千代は生活に困り、身の回りの品物を質屋に預けていました。
燕楽軒で働き始めると、毎日のように訪れる客から高額なチップをもらうようになります。
その客が、『中央公論』の編集者・瀧田樗陰(たきた・ちょいん)でした。
瀧田は食事を終えると、決まって50銭銀貨をチップとして置いていったといいます。
そのお金が少しずつ貯まり、質屋から品物を取り戻せる金額に到達。
こうして宇野千代は、18日間で燕楽軒を退職しました。
生活のために始めた短い仕事。
しかし、そこでの出会いは、後の作家人生につながっていくのです。
燕楽軒で宇野千代が出会った文豪たち
燕楽軒には、当時の日本文学を代表する作家や編集者が出入りしていました。
宇野千代がこの時期に知り合った主な人物を見てみましょう。
| 人物 | 宇野千代との関係 |
|---|---|
| 瀧田樗陰 | 『中央公論』の編集者。後に千代の作品を掲載 |
| 芥川龍之介 | 短編『葱』のモデルに千代を取り入れたとされる |
| 久米正雄 | 燕楽軒で知り合った作家 |
| 菊池寛 | 燕楽軒に出入りした作家 |
| 佐藤春夫 | 燕楽軒に出入りした詩人・小説家 |
| 今東光 | 千代と親しく交流した若手文学者 |
なかでも、宇野千代の人生に深く関わったのが瀧田樗陰と芥川龍之介でした。
瀧田樗陰との出会いが作家への転機に
瀧田樗陰は、『中央公論』を発展させた名編集者です。
燕楽軒の常連で、宇野千代が担当する席で昼食をとっていました。
しかし、当時の千代は、瀧田が有名な編集者だとは知りませんでした。
二人の出会いが再び意味を持ったのは、数年後のことです。
1921(大正10)年、札幌で暮らしていた宇野千代は短編小説『脂粉の顔』を執筆。
『時事新報』の懸賞小説に応募すると、見事一等に入選し、賞金200円を手にしました。
さらに、次の小説『墓を発く』を瀧田樗陰へ送ります。
すると、『中央公論』1922年5月号への掲載が決まりました。
原稿料は366円。生活に苦労してきた宇野千代にとって、大金でした。
かつては給仕と客だった二人。
それが数年後には、作家と編集者として再びつながったのです。
⇒ ブラッサム黒崎大三郎の実在モデルは?中央公論編集長の瀧田樗陰と史実を解説
芥川龍之介の『葱』にも宇野千代が登場?
燕楽軒で宇野千代と知り合った作家の一人が、芥川龍之介です。
芥川の短編小説『葱(ねぎ)』には、文学好きの若い女性「お君さん」が登場します。
このお君さんのモデルになったといわれるのが宇野千代です。
きっかけは、宇野千代が今東光と本郷を歩いていたときの出来事でした。
二人で散歩をしていた宇野千代は、八百屋で安い葱を見つけ、思わず買ってしまいます。
すると今東光は、せっかくの散歩なのに生活感のある買い物をした千代に興ざめ。
その話を芥川龍之介に伝えたところ、小説『葱』の題材になったといいます。
当時の宇野千代は、まだ無名の若い女性でした。
それでも、今東光の弟で作家の今日出海は、若き日の千代を次のように回想しています。
「見詰めずにはいられぬ美人」
(引用:山口県観光サイト)
文豪たちの目にも、宇野千代は印象的な女性だったのでしょう。
わずか18日間の勤務ながら、文学者たちとの交流が生まれた燕楽軒。
宇野千代の若い頃を語るうえで、欠かせない場所となりました。
ブラッサム悠樂軒と史実の違い
朝ドラ『ブラッサム』では、石橋静河さん演じる葉野珠が、東京で西洋レストラン「悠樂軒」で働くことになります。
店長の熊田を斎藤司さん、先輩ウェイトレスの松子を瀬戸さおりさんが演じます。
さらに、文芸誌「首都公論」の編集長・黒崎大三郎や、人気作家・秋山格之介らも登場。
文学を愛する珠にとって、新しい世界が広がる場所です。
ドラマと史実を比べてみましょう。
| 比較 | ブラッサム | 史実 |
|---|---|---|
| 店名 | 悠樂軒 | 燕楽軒 |
| 働く女性 | 葉野珠 | 宇野千代 |
| 場所 | 東京・本郷 | 本郷三丁目 |
| 編集長 | 黒崎大三郎 | 瀧田樗陰 |
| 人気作家 | 秋山格之介 | 芥川龍之介 |
| 文学との関わり | 珠が黒崎に小説を託す | 千代が数年後に瀧田へ原稿を送る |
| 勤務期間 | ドラマ上の設定 | 18日間 |
特に注目したいのが、小説を編集者に読んでもらう時期の違いです。
ドラマ第5週では、珠が自作の小説を黒崎に託す展開が予定されています。
一方、史実の宇野千代が瀧田樗陰に『墓を発く』を送ったのは、燕楽軒で働いてから数年後でした。
また、ドラマには悠樂軒で働く同僚たちも登場し、珠との交流が描かれます。
珠にとって悠樂軒は、生活費を稼ぐ職場であると同時に、文学の世界へ近づく場所でもあるのでしょう。
その大切な役割は、実在した燕楽軒と重なっています。
まとめ|悠樂軒のモデル・燕楽軒と宇野千代
以上、朝ドラ『ブラッサム』悠樂軒の実在モデルと、宇野千代が働いた燕楽軒についてご紹介しました。
燕楽軒があったのは、現在の東京都文京区本郷4丁目37-13付近です。
宇野千代が働いたのは、わずか18日間。しかし、その短い期間に瀧田樗陰や芥川龍之介と出会い、作家への道につながる貴重な経験をしました。
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