自由民主党所属の衆議院議員の二階俊博さん。
何かと世間の話題になることが多い議員さんですが、どんな家系なのでしょうか?
今回は二階俊博さんの家系図や家族構成をご紹介します。
二階俊博の家系図を紹介!実家は和歌山県!
二階俊博さんは、1939年2月17日生まれ。2024年2月現在で84歳です。
二階俊博幹事長は1975年に父親から和歌山県議の地位を引き継ぎ、政治家としての基礎を固めました。
その後、国会議員としての道を歩み始めます。
経済産業大臣や運輸大臣などの重要な役職を務め、現在は自民党の要として活躍していますね。
さっそく、二階俊博さんの家系図をみていきましょう。
二階俊博の家系図
二階俊博さんの父親は政治家で、二階俊博さんはいわゆる世襲議員。
でもお母さんの家系はお医者さんだったのですね!
ではひとりずつご紹介しましょう。
祖父・古久保良輔
二階俊博さんの母方の祖父、古久保良輔さん。医師でした。
三女にあたる古久保菊枝さんも医師になられていることから、代々医師の家系だったのかもしれません。
父・二階俊太郎
二階俊博さんの父親・二階俊太郎さんは、戦前は和歌山県で政治家、稲原村の村長、御坊造船社長として名を馳せました。
多くの重責を担い、地域社会における顕著な貢献者であった俊太郎さんは、戦後初の衆議院議員選挙にも挑戦しましたが、選挙には敗れました。
また、戦後は一時期公職から追放されるなど、困難な時期も経験されたようです。
二階俊太郎さんの経歴
- 1938年 和歌山県会議員(-1945年)
- 1940年 稲原村村長
- 1942年 御坊造船社長
- 1959年 和歌山県議会議員(-1967年)
母・二階菊枝
二階俊博さんの母親・二階菊枝さんは、東京女子医科大学を卒業し、女医としての道を歩みました。
その当時、女性の医者は珍しかったはずです。母親の菊枝さんが医者になったのは代々続けてきた医師の家系があったからではないでしょうか。
二階俊博の家族構成を紹介!
続いて二階俊博さんの、奥さんや子供など家族構成についてみていきましょう。
奥様は怜子さん、そして礼子さんとの間に3人の息子さんがいます。
二階俊博さんの家族構成
- 妻・怜子
- 長男・俊樹
- 次男・直哉
- 三男・伸康
妻・怜子
二階俊博さんと妻の怜子さんは、子どもの頃からの幼なじみ。
同じ地元の和歌山県で、小学校から高校まで同じ学校に通っていたそうです。
互いの父親が友人同士だったこともあり、2人の絆は深まる一方でした。
結婚は必然だったのかもしれませんね。
妻の怜子さんは政治家の妻として多忙な夫をサポートし続け、東京と和歌山を行き来する際の運転も担っていたといいます。
2018年に肺がんで亡くなりました。
3人の息子
続いて、二階俊博さんの3人の息子さんたちについて簡単にご紹介します。
- 長男・俊樹さん
1965年に生まれ、早稲田大学を卒業後、父の秘書として働いた経験を持つ。
2016年に和歌山県御坊市の市長選に挑戦したが、現職に大きく差をつけられ敗北し、現在は政策秘書として活動中。
- 次男・直哉さん
1972年生まれ。二階俊博さんが通産大臣を務めていた時の秘書官を経て、退官後は一般社団法人の理事やコンサルタントとして働いている。
- 三男・伸康さん
1978年生まれ。2014年にANAを退職後は父の秘書を務め、現在は第一秘書として勤務。
詳しくは、二階俊博の息子は3人!長男は市長落選で跡継ぎは三男?学歴は?の記事でご紹介しています。
二階俊博の経歴と現在の役職は?
最後になりましたが、二階俊博さんの経歴と2024年現在の役職をまとめておきます。
二階俊博さんの経歴
- 和歌山県御坊市出身、中央大学法学部政治学科を卒業。
- 遠藤三郎衆議院議員の秘書を務めた後、和歌山県議会議員を2期務める。
- 1983年に衆議院議員に初当選し、以降13回当選。
- 経済産業大臣(第6・9・10代)、運輸大臣(第75・76代)、北海道開発庁長官(第69・70代)など、重要な閣僚職を歴任。
- 自由民主党幹事長(第52・53代)、自由民主党総務会長(第46・53代)、自由民主党国会対策委員長(第48代)など、党内でも重要な役職を務める。
現在の役職
- 自由民主党所属の衆議院議員
- 志帥会会長
- 自由民主党和歌山県支部連合会長
- 自由民主党政務調査会観光立国調査会最高顧問
- 自由民主党国土強靭化推進本部長
- 自由民主党2025年大阪・関西万博推進本部長
- 全国旅行業協会会長
- 日中友好議員連盟会長
以上、今回は二階俊博さんの家系図や家族構成についてご紹介しました。
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