朝ドラ『ブラッサム』第6週に登場する「頼母子講(たのもしこう)」。
聞き慣れない言葉ですが、昔の人々がお金を融通し合うために利用していた、助け合いの仕組みです。
実は、主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代も、頼母子講で大金を手にした経験がありました。
この記事では、
- 頼母子講の意味と具体的な仕組み
- 自分で貯金する場合との違い
- 宇野千代が頼母子講で家を購入した実話
- 『ブラッサム』第6週での描かれ方
についてご紹介します。
朝ドラ『ブラッサム』の頼母子講とは?

頼母子講とは、仲間同士でお金を出し合い、順番にまとまったお金を受け取る仕組みです。
中世から続く民間の金融制度で、江戸時代には広く利用されました。明治・大正時代にも、人々の暮らしを支えていたのです。
頼母子講の意味は「お金の助け合い」
頼母子講を一言で説明すると、「みんなでお金を出し合う助け合いの制度」です。
たとえば、商売を始めたいけれど、まとまったお金がない人がいたとします。
一人で貯金すると何か月もかかりますが、仲間でお金を出し合えば、必要な資金を早く用意できるかもしれません。
そこで、近所の人や知人が集まり、定期的にお金を積み立てるのが頼母子講でした。
集まったお金は、くじ引きや入札などで決まった一人が受け取ります。ただし、受け取ったあとも掛け金を払い続けるのが基本です。
頼母子講と無尽(むじん)の違い
頼母子講とよく似た言葉に「無尽(むじん)」があります。
実は、頼母子講と無尽は、ほぼ同じ意味で使われています。
古くは相互扶助の性格が強い頼母子講に対し、無尽には営利的な仕組みもありました。しかし、時代が進むにつれて、その区別は曖昧になっていきます。
現在でも山梨県などには「無尽」と呼ばれる集まりが残っていますが、親睦会や食事会としての役割が中心になっています。
なお、現代の互助会やクラウドファンディングとは、複数の人がお金を出し合う点で共通しています。
ただし、頼母子講では参加者自身がお金を受け取る側にもなることが大きな違いです。
図解!頼母子講の具体的な仕組みをわかりやすく解説

では、頼母子講では実際にどのようにお金を集め、受け取っていたのでしょうか。
具体的な金額を使って見ていきましょう。
毎月お金を出し合い、順番に受け取る
仮に、5人が毎月2,000円ずつ出し合う頼母子講を考えてみましょう。
毎月集まるお金は、2,000円×5人=10,000円です。
この10,000円を、毎月一人ずつ受け取ります。
| 月 | 受け取る人 | 受取額 |
|---|---|---|
| 1か月目 | Aさん | 10,000円 |
| 2か月目 | Bさん | 10,000円 |
| 3か月目 | Cさん | 10,000円 |
| 4か月目 | Dさん | 10,000円 |
| 5か月目 | Eさん | 10,000円 |
5か月目には全員がお金を受け取り、この頼母子講は終了です。
ただし、これは利息や手数料を考慮しない単純な例。実際には、参加人数や掛け金、開催間隔によって仕組みが異なりました。
自分で貯金するのと何が違う?
「それなら、毎月2,000円ずつ貯金すればいいのでは?」
そう思いますよね。
実際、最後に受け取るEさんは、自分で5か月間貯金するのとほとんど変わりません。
しかし、最初に受け取るAさんは違います。
1か月目に10,000円を受け取れるため、貯金が貯まるのを待たずにお金を使えるのです。
つまり、早く受け取る人にとっては借金、遅く受け取る人にとっては積立貯金に近い仕組みでした。
また、実際の頼母子講には、早くお金を受け取る人が利息に相当する負担をする方式もありました。
その場合、後から受け取る人にも金銭的なメリットが生まれます。
「親」と「講員」の役割や順番の決め方
頼母子講では、発起人を「親」、参加者を「講員」と呼びました。
親が仲間を集め、定期的に寄り合いを開きます。
お金を受け取る順番は、主にくじ引きや入札によって決められました。
- くじ引き:当たりを引いた人がお金を受け取る
- 入札:受け取り条件を提示して順番を競う
くじ引きの場合、運が良ければ加入して間もなく大金を手にすることも。
そして、参加者全員にお金が行き渡ると「満会(まんかい)」となり、講が終了します。
宇野千代は頼母子講で家を購入していた!
『ブラッサム』の主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代も、頼母子講を利用していました。
しかも、頼母子講で受け取ったお金を使い、札幌で一軒家を購入したというエピソードが残っています。
仕立物の収入を頼母子講の掛け金に
1919年(大正8年)、宇野千代は藤村忠と結婚しました。
翌1920年、忠が北海道拓殖銀行に就職したことをきっかけに、千代も札幌へ移り住みます。
札幌では、女学校時代に身につけた裁縫の技術を生かし、仕立物の仕事を始めました。
そして、自分で稼いだお金を頼母子講の掛け金に充てていたのです。
宇野千代は自伝『生きて行く私』で、次のように振り返っています。
「私の仕立物で得た金は、頼母子講の掛け金になった。」
(引用:『生きて行く私』 宇野千代)
毎月の寄り合いでは、くじ引きが行われていました。
仕立物で収入を得ながら、頼母子講にも参加する。千代の札幌生活には、そんな一面があったのです。
加入3か月目に大金を引き当てる
ところが、加入して間もなく、思いがけない出来事が起こります。
なんと、3か月目にくじを引き当てたのです。
千代は当時の驚きを、次のように記しています。
「三カ月目に、思い掛けない大金が、私の手に落ちたのであった。」
(引用:『生きて行く私』 宇野千代)
そして千代は、そのお金で札幌に一軒家を購入します。
家探しを手伝ってくれたのは、同じ頼母子講に参加していた不動産業者のような男性でした。
購入した家は、札幌の東十一条にあった古い一軒家。
頼母子講で得た資金が、家を持つきっかけになったのです。
ただし、頼母子講のお金は宝くじの賞金とは違います。受け取ったあとも、基本的には掛け金の支払いが続きました。
『ブラッサム』第6週の頼母子講エピソード
2026年11月2日〜6日放送予定の『ブラッサム』第6週では、頼母子講が物語に大きく関わります。
珠と保が札幌で新生活を始めるなか、頼母子講を利用することに。
正吾と浪江が頼母子講を勧める
札幌へ移り住んだ珠(石橋静河さん)と保(金子大地さん)。
二人を迎えたのは、保の親戚である木村正吾(三宅弘城さん)と妻の浪江(杉田かおるさん)でした。
浪江は珠に近所の人々を紹介するとともに、頼母子講への加入を勧めます。
正吾も、地域の人々がお金を積み立て、半年に一度、誰かがまとめて受け取る仕組みだと説明。
見知らぬ土地で暮らし始めた珠にとって、頼母子講はご近所とのつながりを広げるきっかけにもなったのです。
珠と保が1,000円を引き当てる!
札幌で仕立物の仕事を始めた珠は、丁寧な仕事ぶりが評判となり、近所の女性たちとも親しくなっていきます。
そして、厳しい冬が訪れたある日、思いがけない幸運が舞い込みました。
なんと、頼母子講のくじ引きで1,000円という大金を引き当てたのです。
当時の1,000円は、庶民にとって非常に大きな金額。珠と保の暮らしにも、大きな転機が訪れます。
さらに第7週では、頼母子講で得たお金を使い、二人が新しい家を探し始める展開が予定されています。
これは、宇野千代が札幌で頼母子講を利用し、家を購入した史実と重なるエピソードですね。
なぜ大正時代に頼母子講が利用されたのか?
宇野千代が札幌で暮らしていた大正時代、頼母子講は人々の生活を支える仕組みの一つでした。
その背景には、当時の金融事情と地域の助け合いがありました。
銀行に頼らずお金を借りられた
明治時代には銀行制度が整備されましたが、誰もが気軽にお金を借りられたわけではありません。
特に、小規模な商売を営む人や、まとまった財産を持たない人にとって、銀行融資は簡単ではなかったのです。
そこで利用されたのが頼母子講でした。
銀行に頼らず、身近な人々からお金を融通してもらえることが大きな特徴です。
商売の資金や家の修理、農作業に必要な費用など、さまざまな目的に利用されました。
宇野千代のように、頼母子講のお金を使って家を購入する人もいたのです。
ご近所同士の信用が大切だった
頼母子講を成立させるうえで欠かせなかったのが、参加者同士の信用でした。
先にお金を受け取った人が掛け金を払わなくなると、ほかの参加者が困ってしまいます。
そこで、土地や家屋を担保にしたり、保証人を立てたりすることもありました。
実際に1858年の古文書には、年貢を納めるために頼母子講から10両を借り、土地を担保にした例が残っています。
また、1915年(大正4年)には「無尽業法」が制定され、事業として営まれる無尽に対する法的な規制も整備されました。
地域の助け合いから、近代的な金融制度へ。頼母子講は時代とともに形を変えていったのです。
まとめ|頼母子講は昔の助け合いの金融制度
以上、朝ドラ『ブラッサム』に登場する頼母子講の意味や仕組み、宇野千代の実話についてご紹介しました。
頼母子講は、仲間同士でお金を出し合い、順番にまとまった資金を受け取る制度です。
宇野千代も札幌で頼母子講を利用し、加入3か月目に大金を受け取って家を購入しました。
『ブラッサム』第6週では、珠と保が頼母子講で1,000円を引き当てる展開が予定されています。
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参考:
愛知県公文書館「民間の金融組織」
国立公文書館「無尽業法・御署名原本」
山口県観光サイト「作家・宇野千代とは?」