朝ドラ『ブラッサム』に登場する女性文芸誌『青鞜(せいとう)』。
忍が読み上げた「元始、女性は太陽であった」という言葉が、珠たちの同人誌作りにつながっていきます。
実は、主人公・葉野珠のモデルとなった宇野千代も、女学生時代に『青鞜』を読んでいました。
この記事では、
- 『青鞜』とはどんな雑誌なのか
- 『青鞜』を創刊した平塚らいてう
- 『ブラッサム』と青鞜の関係
- 宇野千代も青鞜を読んでいたのか
ブラッサムに登場する「青鞜」とは?

『青鞜』は、1911年9月に創刊された女性文芸誌です。
中心となったのは平塚らいてう。青鞜社を立ち上げ、女性たちが小説や詩、評論などを発表する場をつくりました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 創刊 | 1911年9月 |
| 中心人物 | 平塚らいてう |
| 発行 | 青鞜社 |
| 内容 | 小説・詩・評論など |
| 最終号 | 1916年2月 |
創刊当初は、文学を中心とした雑誌でした。その後は、結婚や女性の生き方、社会での立場なども取り上げるようになります。
女性たちが自分で考え、自分の言葉で書く。
『青鞜』は、そんな新しい表現の場になっていきました。
青鞜を創刊した平塚らいてう
平塚らいてうは1886年、東京生まれ。
日本女子大学校を卒業し、1911年に青鞜社を設立。同年9月に『青鞜』を創刊しました。
創刊号に載せた文章の冒頭が、有名なこの言葉です。
「元始、女性は實に太陽であつた。」
(引用:平塚らいてう「青鞜発刊に際して」)
この「太陽」という言葉には、女性自身が自分の力で生きようとする思いが込められていました。
当時、この言葉に刺激を受けた女性は少なくありません。
そして、そのひとりが若き日の宇野千代でした。
ブラッサムと青鞜
『ブラッサム』では、珠の同級生・角田忍が『青鞜』を持ってきます。
忍が平塚らいてうの言葉を読み、珠・稲子・タエに同人誌を作ろうと提案。こうして4人は、自分たちの文章を載せた同人誌『黎明』を作ることになります。
青鞜を読む
↓
忍が同人誌を提案
↓
珠たちが文章を書く
↓
『黎明』が完成
珠は大好きな小説を書き、仲間たちもそれぞれ書きたいものを書いていきます。
『青鞜』が面白いのは、単なる小道具として登場しているわけではないところです。
平塚らいてうたちが自分の言葉で文章を書いたように、珠たちも『黎明』で自分の思いを表現し始めます。
珠が文学へ踏み出していくきっかけのひとつになっているのです。
宇野千代も青鞜を読んでいた
このエピソードは、宇野千代の女学生時代とも重なります。
宇野千代顕彰会の年譜では、1913年、16歳の宇野千代について、次のような記録があります。
- 「女子文壇」へ変名で投稿
- 同人誌「海潮音」に参加
- 『青鞜』『第三帝国』を読む
宇野千代自身も『女の日記』の中で、当時を振り返っています。
「私はいろいろのものを読んだ。『第三帝国』『青鞜』。」
(引用:宇野千代『女の日記』)
さらに、平塚らいてうの「女性は太陽であった」という言葉を読み、自分たち女学生も「太陽であるかも知れぬ」と感じたことを書いています。
『ブラッサム』で、忍が『青鞜』を持ってきて珠たちが同人誌を作る展開ともよく重なります。
ただし、同人誌については少し整理が必要です。
1913年には同人誌「海潮音」に参加し、1915年には回覧文芸誌「海鳥」の同人になったことが、宇野千代顕彰会の年譜に記されています。
『ブラッサム』の『黎明』と、宇野千代が参加した同人誌については、別の記事で詳しく見ていきます。
まとめ|ブラッサムと青鞜
以上、『ブラッサム』に登場する『青鞜』についてご紹介しました。
『青鞜』は1911年、平塚らいてうを中心に創刊された女性文芸誌です。そして、若き日の宇野千代も『青鞜』を読んでいました。
平塚らいてうの「太陽」という言葉に刺激を受け、仲間と雑誌を作って文章を書く。
そんな宇野千代の女学生時代を知ると、『ブラッサム』で珠たちが『青鞜』を手にする場面も、また違って見えてきます。
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