宇野千代といえば、恋多き作家として知られています。
4度の結婚と離婚、作家としての成功、着物のデザインや会社経営。98年の人生は、まさに波乱万丈でした。
そんな宇野千代の晩年を、長くそばで支え続けた女性がいます。秘書の藤江淳子(ふじえ・あつこ)です。
この記事では、
- 宇野千代の秘書・藤江淳子とはどんな人だったのか
- 宇野千代と藤江淳子の出会いと36年間の生活
- 朝ドラ『ブラッサム』の藤川優子との共通点
宇野千代の秘書は藤江淳子

宇野千代の秘書を長年務めたのは、藤江淳子です。
1929年、宮城県生まれ。宇野千代より32歳年下でした。1960年から宇野千代と暮らしをともにし、1996年に宇野千代が亡くなるまで、36年間にわたって公私を支えました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 藤江淳子(ふじえ・あつこ) |
| 生年 | 1929年 |
| 出身 | 宮城県 |
| 宇野千代との関係 | 秘書 |
| 同居 | 1960年〜1996年 |
| 宇野千代からの呼び名 | 淳(あ)っちゃん |
| 宇野千代死後 | 株式会社宇野千代の代表 |
| 没年 | 2023年 |
藤江淳子は、原稿や仕事を手伝うだけの秘書ではありません。同じ家で暮らし、外出にも付き添い、宇野千代の日常そのものを支える存在でした。
『婦人公論』1996年10月号には、藤江淳子自身による「宇野千代と歩いた花吹雪人生36年」も掲載されています。
タイトルからも、二人が歩んだ時間の長さが伝わってきます。
宇野千代と藤江淳子の出会い
藤江淳子が宇野千代のもとへ来たのは、1958年でした。
きっかけをつくったのは、宇野千代の4人目の夫・北原武夫です。
北原武夫の縁で宇野千代のもとへ
1958年、藤江淳子は北原武夫の縁で宇野千代のもとへやって来ました。
当時、宇野千代と北原武夫の結婚生活は終わりへ向かっていた時期です。二人が正式に離婚するのは1964年でした。
藤江淳子は、それより前から宇野千代のそばで生活を支えるようになっていました。
1960年から始まった共同生活
1960年になると、藤江淳子と宇野千代は本格的に暮らしをともにするようになります。
1958年 宇野千代のもとへ
北原武夫の縁で、藤江淳子が宇野千代のもとへやって来ます。
1960年 共同生活が始まる
宇野千代と藤江淳子が暮らしをともにするようになります。
1996年 宇野千代が死去
宇野千代が98歳で亡くなるまで、二人の共同生活は続きました。
一緒に暮らした期間は36年間。
藤江淳子は秘書であり、仕事仲間であり、やがて家族のような存在になっていきました。
宇野千代と藤江淳子は母娘のような関係だった
宇野千代には実の子どもはいませんでした。
しかし晩年の宇野千代には、娘のように大切にしていた人物がいました。それが藤江淳子です。
宇野千代が「淳っちゃん」と呼んだ秘書
宇野千代は藤江淳子を、親しみを込めて「淳(あ)っちゃん」と呼んでいました。
朝から晩まで、ほとんど一緒の生活。宇野千代が仕事をするときも、外出するときも、日々の暮らしの中には藤江淳子がいました。
作家と秘書。そんな肩書だけでは言い表せないほど、二人の距離は近くなっていきました。
「本当の子供以上」と語った宇野千代
宇野千代は藤江淳子について、こんな言葉を残しています。
「本当の子供以上ともいえる娘」
宇野千代にとって藤江淳子が、単なる秘書ではなかったことがよくわかります。
一方、藤江淳子も宇野千代との関係を振り返り、こう語っています。
「私が先生を守ってきたのではなくて先生から守られてきたのです」
支える人と、支えられる人。そんな一方向の関係ではありませんでした。
互いに支え合いながら36年という長い時間をともにした二人。いつしか作家と秘書を超え、母と娘のような関係になっていたのでしょう。
藤江淳子は宇野千代の晩年を支えた
藤江淳子が宇野千代と暮らした1960年から1996年。
この36年間、宇野千代は小説を書き続けるだけでなく、着物や桜をモチーフにした商品を手がけるなど、活動の幅を広げていきました。
そのすぐそばには、いつも藤江淳子がいました。
公私にわたり36年間をともにした
藤江淳子自身も、宇野千代と過ごした日々について文章を残しています。
『宇野千代 女の一生』には、藤江淳子による「先生との36年」が収録されています。
また、『婦人公論』1996年10月号には、
「宇野千代と歩いた花吹雪人生36年」
と題した回想を寄せました。
36年間という時間を宇野千代のすぐそばで過ごした藤江淳子。仕事だけではなく、日々の暮らしや晩年までを見つめ続けた人物でした。
宇野千代の最期までそばにいた
宇野千代は1996年6月10日、急性肺炎のため98歳で亡くなりました。
その葬儀で喪主を務めたのが藤江淳子です。一周忌の納骨でも、藤江淳子は宇野千代の骨箱を胸に抱きました。
恋愛や結婚など、華やかなエピソードで語られることの多い宇野千代。
しかし人生の後半を見ると、36年間にわたって日常をともにした藤江淳子の存在があります。
晩年の宇野千代を知るうえで、欠かすことのできない人物です。
朝ドラ「ブラッサム」藤川優子と藤江淳子
朝ドラ『ブラッサム』にも、主人公・葉野珠を長年支える秘書が登場します。
松たか子さん演じる藤川優子です。

松たか子さん演じる葉野珠の秘書
『ブラッサム』は、作家・宇野千代の人生をモデルに、その生き方を再構成して描く物語です。
主人公・葉野珠を石橋静河さん、1980年代の珠を加賀まりこさんが演じます。
そして晩年の珠のそばにいるのが藤川優子。珠の秘書として、公私にわたって生活をともにし、長年支え続ける人物です。
演じるのは松たか子さん。物語の序盤から、年老いた珠のそばに寄り添う存在として登場します。
藤川優子と藤江淳子に重なる設定
藤川優子と、実在する藤江淳子。
二人の設定を比べると、よく似ていることがわかります。
| 『ブラッサム』 | 実在 |
|---|---|
| 葉野珠 | 宇野千代がモデル |
| 藤川優子 | 藤江淳子を思わせる人物 |
| 珠の秘書 | 宇野千代の秘書 |
| 珠と生活をともにする | 宇野千代と36年間同居 |
| 公私にわたり珠を支える | 公私にわたり宇野千代を支えた |
秘書であること。生活をともにしていること。そして、晩年まで公私にわたり支えていること。
藤川優子には、藤江淳子と重なる設定が多くあります。
ただし、『ブラッサム』は宇野千代の人生をそのまま再現した伝記ドラマではありません。藤川優子についても、「藤江淳子がモデル」と公式に明記されているわけではありません。
そのため、藤江淳子を思わせる人物として見るのがよさそうです。
実在の宇野千代と藤江淳子の関係を知ると、珠と藤川優子がどのような関係を築いていくのかにも注目したくなります。
宇野千代の死後も藤江淳子が受け継いだもの
宇野千代と藤江淳子の関係は、1996年に宇野千代が亡くなったことで終わりませんでした。
藤江淳子はその後も、宇野千代の名前と仕事を守り続けます。
宇野千代の葬儀で喪主を務めた
宇野千代には実の子どもはいません。
その宇野千代の葬儀で、喪主を務めたのが藤江淳子でした。
宇野千代自身が「本当の子供以上ともいえる娘」と語った藤江淳子。
36年という長い時間をともに過ごした二人の関係を象徴する出来事のひとつです。
宇野千代ブランドを守り続けた
宇野千代の死後、藤江淳子は株式会社宇野千代の代表を務めました。
宇野千代が愛した桜をモチーフにした「宇野千代ブランド」も受け継いでいきます。
宇野千代のそばで過ごした36年間。そして宇野千代が亡くなったあとも、その名前や仕事を次の時代へつないだ藤江淳子。
藤江淳子は2023年に亡くなりました。
宇野千代の人生を振り返る展示や資料にも、秘書・藤江淳子とともに写る写真が残されています。
宇野千代の晩年をたどると、やはり藤江淳子という存在に行き着きます。
まとめ|宇野千代と秘書・藤江淳子の絆
以上、宇野千代の秘書・藤江淳子についてご紹介しました。
藤江淳子は1958年に宇野千代のもとへ来て、1960年から共同生活を開始。1996年に宇野千代が亡くなるまで、36年間にわたって公私を支えました。
宇野千代が「本当の子供以上ともいえる娘」と語ったほど、二人の結びつきは深いものでした。
宇野千代の死後も、藤江淳子は株式会社宇野千代の代表として、その名前や仕事を受け継いでいます。
こちらもCHECK