小説家として知られる宇野千代ですが、10代のころには小学校の先生をしていました。ところが教師生活は長く続きません。
同じ学校に赴任してきた男性教師との恋が町中の噂となり、学校を離れることになります。
この記事では、
- 宇野千代が教師をクビになった理由
- 17歳で始めた代用教員の仕事
- 同僚教師との恋と恋文のエピソード
- 教師を辞めた後の宇野千代
宇野千代が教師をクビになった理由

宇野千代が教師を辞めたきっかけは、同僚教師との恋愛でした。
1915年ごろ、勤務先の小学校に男性教師が赴任します。宇野千代はこの男性に恋をし、やがて二人の関係は町中の噂になりました。
「千代は同じ小学校に赴任してきた男性教師に恋をして、やがてそれは町中の噂になると、千代は教師を免職となりました。」
(引用:岩国市「宇野千代―岩国の旅― 教員時代」)
山口県観光サイトでも、生徒にラブレターを届けさせるなどして二人の恋が噂となり、宇野千代は免職になったと紹介されています。
つまり、宇野千代が教師をクビになった背景には、同僚教師との恋が学校や地域に広く知られたことがありました。
宇野千代は代用教員だった
宇野千代が教師になったのは1914年。岩国高等女学校を卒業したあと、17歳で川下村尋常小学校の代用教員になりました。
教師として子どもたちを教える一方、文学にも親しんでいた時期です。
17歳で教師になる
教師になったころの宇野千代を整理すると、次のようになります。
- 1914年に岩国高等女学校を卒業
- 17歳で川下村尋常小学校の代用教員になる
- 子どもたちを教えながら働く
- 仲間と回覧雑誌『海鳥』を作る
のちに小説家となる宇野千代ですが、10代のころから文章を書くことは身近な存在でした。
教師として働きながら文学にも親しんだこの時期は、その後の作家人生につながる第一歩だったのかもしれません。
教え子が語る宇野千代先生
宇野千代は、どんな先生だったのでしょうか。
岩国市の公式サイトには、『100年のあゆみ 川下小学校』に残された教え子の手記が紹介されています。
「ア・綺麗な先生ー」
(引用:『100年のあゆみ 川下小学校』)
教え子にとって、若い宇野千代は「綺麗な先生」という印象だったようです。
授業では、子どもが理解するまで時間をかけて教えていました。一方で、竹の鞭や平手を使うこともあったと記されています。
山口県観光サイトでは、生徒を褒めてやる気を引き出すなど、教師の仕事に熱心だったとも紹介されています。
恋愛によって教師生活を終えたことが目立ちますが、教壇では子どもたちと向き合う若い先生でもありました。
宇野千代と同僚教師の恋
教師生活を大きく変えたのが、勤務先に赴任してきた男性教師との恋でした。
宇野千代の自伝『生きて行く私』でも、このころの恋が大きく取り上げられています。
「小学校代用教員の時の恋と初体験」
(引用:『生きて行く私』)
同僚教師にひと目ぼれ
『生きて行く私』では、恋の相手は佐伯正夫という名前で登場します。
佐伯正夫は、宇野千代の勤務先に赴任してきた男性教師。宇野千代は佐伯正夫を見て強くひかれ、恋に落ちていきました。
やがて佐伯正夫の下宿へ料理を持って行ったり、教え子に手紙を届けてもらったりするようになります。
まだ10代だった宇野千代にとって、佐伯正夫との恋は教師生活だけでなく、その後の人生まで大きく動かす出来事になりました。
教え子が恋文を運んだ
二人の恋には、印象的なエピソードが残っています。
宇野千代は佐伯正夫への手紙を、教え子に届けてもらっていました。
後年、宇野千代を囲んだ同窓会では、かつての教え子がこう明かしたそうです。
「私は先生の恋文を運んだ郵便屋でした」
(引用:『100年のあゆみ 川下小学校』)
先生同士の恋文を、生徒が運んでいたことになります。
こうしたやり取りもあり、二人の恋は少しずつ周囲へ知られていきました。そして、ついには町中の噂になってしまいます。
宇野千代が教師を辞めるまで
同僚教師との恋が広まると、宇野千代の教師生活は終わりを迎えます。
1915年、宇野千代は学校を免職となりました。
恋文だけが理由だった?
宇野千代が教師を辞めるまでの流れを整理すると、次のようになります。
- 同僚教師に恋をする
- 生徒を通して恋文をやり取りする
- 二人の関係が周囲に知られる
- 町中の噂になる
- 宇野千代が教師を免職となる
恋文のやり取りを含め、同僚教師との恋が周囲へ広く知られていったことが、教師生活を終えるきっかけとなりました。
宇野千代の短い教師生活は、こうして幕を閉じます。
相手の教師はどうなった?
宇野千代が学校を離れたあとも、男性教師への思いはすぐには消えませんでした。
宇野千代は朝鮮の京城へ渡ったあとも手紙を書き続けます。しかし、やがて男性から絶縁状が届きました。
宇野千代は日本へ戻り、男性が転任した山奥の小学校まで会いに行きます。
それでも関係は元には戻らず、宇野千代は失恋することになりました。
教師を辞めたあとも追いかけるほど、宇野千代にとって大きな恋だったことが伝わってきます。
教師を辞めたその後の宇野千代
教師を辞めた宇野千代は、18歳で故郷・岩国を離れます。
向かったのは、当時の朝鮮・京城。現在の韓国・ソウルです。
「失恋のなか、18歳の千代は逃げるようにして岩国を離れ」
(引用:岩国市「宇野千代―岩国の旅― 教員時代」)
京城では家政婦のような仕事をしながら暮らしました。その後、日本へ戻った宇野千代は京都や東京など各地を移り住みます。
そして1921年、『脂粉の顔』が懸賞小説で一等となり、小説家への道が開けていきました。
教師を辞めたことをきっかけに、岩国を離れた宇野千代。
ここから、各地を移り住みながら恋と仕事を重ねていく人生が始まっていきます。
まとめ|宇野千代が教師をクビになった理由
以上、宇野千代が教師をクビになった理由についてご紹介しました。
宇野千代は17歳で代用教員となりましたが、同僚教師との恋が町中の噂となり、教師を辞めることになります。その後は岩国を離れて京城へ渡り、やがて小説家への道を歩んでいきました。
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