朝ドラ『ブラッサム』のモデルとなった作家・宇野千代。
生涯で4度の結婚を経験した宇野千代ですが、その男性遍歴はなかなか波乱万丈でした。
10代前半で最初の結婚を経験し、代用教員時代には恋愛が原因で退職。作家になってからも、尾崎士郎や東郷青児など、著名な文化人との恋愛を重ねています。
しかも、4人の夫以外にも、親密になった男性や関係を噂された男性がいたのです。
この記事では、宇野千代の自伝『生きて行く私』などをもとに、9人の男性との関係をわかりやすく紹介します。
朝ドラ『ブラッサム』の登場人物とのつながりも見ていきましょう。
宇野千代の男性遍歴|4人の夫と恋人・噂になった9人の男性

宇野千代は1897年、山口県岩国に生まれました。
若い頃から自分の気持ちに正直で、好きになった相手には積極的に行動することも。
生涯で4度の結婚を経験していますが、宇野千代の男性遍歴はそれだけではありません。
まずは、結婚した4人の夫と、恋愛や交流で知られる5人の男性を一覧にまとめました。
| 男性 | 宇野千代との関係 |
|---|---|
| 藤村亮一 | 1人目の夫・10代前半で結婚 |
| 北村 | 代用教員時代に親密になった男性 |
| 佐伯正夫 | 代用教員時代の恋愛相手 |
| 藤村忠 | 2人目の夫 |
| 尾崎士郎 | 3人目の夫・小説家 |
| 梶井基次郎 | 親しく交流した作家・男女関係は否定 |
| 東郷青児 | 同棲した洋画家 |
| 村田社長 | 男女関係を疑われた男性 |
| 北原武夫 | 4人目の夫・小説家 |
こうして見ると、実にさまざまな男性との出会いがあったことがわかりますね。
ただし、9人全員が恋人だったわけではありません。
結婚や同棲をした相手もいれば、宇野千代自身が男女関係を否定している男性もいます。
ここからは、実際に恋愛関係にあった男性と、周囲から噂された男性を区別しながら紹介していきます。
宇野千代の若い頃の男性遍歴|最初の結婚と教員時代の恋愛

宇野千代の恋愛人生が動き始めたのは、まだ10代の頃でした。
最初の結婚からして、なかなか驚きの展開です。
さらに代用教員として働き始めると、今度は恋愛が原因で学校を辞めることに。
まずは、作家になる前の若い頃を振り返ってみましょう。
1人目の夫・藤村亮一|10代前半で結婚するも約10日で別居
宇野千代が最初に結婚したのは、まだ10代前半のときでした。
相手は従兄にあたる藤村亮一です。
一般には14歳で結婚したと紹介されることが多いものの、当時の年齢表記や婚姻の時期には資料による違いがあります。
この結婚を決めたのは、父・俊次でした。
千代が亮一と暗くなってから一緒に帰宅したことを父が問題視し、縁談を進めたというエピソードが伝えられています。
ところが、宇野千代は夫となった亮一との生活になじめませんでした。
自分の意思で選んだ相手ではなく、夫婦として暮らすことに違和感があったようです。
結局、結婚生活はわずか10日ほどで終わり、千代は実家へ戻ってしまいます。
当時としては、ずいぶん思い切った行動だったのではないでしょうか。
この最初の結婚から、宇野千代の人生は波乱に満ちたものとなっていきます。
▶宇野千代の結婚が10日で終わったのはなぜ?最初の結婚を詳しく解説
北村|代用教員時代に親密になった村長の息子
最初の結婚生活を終えた宇野千代は、その後、小学校の代用教員として働き始めます。
この頃に親密になった男性のひとりが、北村という人物です。
北村は村長の息子だったといわれています。
自伝『生きて行く私』には、北村の家の離れで2人が男女の関係になったという回想が登場します。
つまり、北村との関係は単なる噂ではなく、宇野千代自身が語った経験なのです。
ただし、2人が結婚することはありませんでした。
そして、この出来事から半年も経たないうちに、宇野千代の前に新たな男性が現れます。
その相手が、同じ学校に赴任してきた佐伯正夫でした。
※北村という名前が実名なのかどうかは確認できていません。
佐伯正夫|ひと目惚れした教師との恋愛で退職
宇野千代が代用教員として働いていた小学校に、ある日、新しい男性教師が赴任してきました。
その人物が佐伯正夫です。
佐伯は師範学校を卒業した正規の教員で、宇野千代と同じ尋常小学校2年生の学級を受け持っていました。
そして宇野千代は、佐伯を初めて見た瞬間に心を奪われたと、自伝で振り返っています。
どうやら、かなりのひと目惚れだったようです。
2人は仕事を通して親しくなり、宇野千代は佐伯の家にも通うようになりました。
そんなある日、宇野千代は佐伯に贈り物を届けようと思い立ちます。
用意したのは、たくさんの端切れを縫い合わせた手作りの座布団でした。
しかも、早く佐伯に知らせたかったのでしょう。
授業中に手紙を書き、受け持ちの生徒に頼んで、佐伯の教室まで届けさせたのです。
そして、その日の夕方、宇野千代は座布団を持って佐伯の家を訪ねました。
好きな人に贈るため、手間をかけて座布団を作るなんて、どこかかわいらしいエピソードですね。
ところが、2人の関係は次第に周囲にも知られるようになります。
当時、教師同士の親密な交際には厳しい目が向けられていました。
やがて恋文をめぐる騒動も起こり、宇野千代は1915年に学校を辞めることになりました。
その後、宇野千代は朝鮮半島へ渡るなど、故郷を離れて新しい生活を始めます。
恋愛が、人生の進路を大きく変えるきっかけになったのです。
ちなみに、朝ドラ『ブラッサム』に登場する教師・島村辰彦は、この佐伯正夫を思わせる人物です。
宇野千代が教師をクビになった理由は?同僚教師との恋と退職の真相
宇野千代の結婚歴|藤村忠・尾崎士郎との恋愛と離婚
若い頃の恋愛を経て、宇野千代は再び結婚します。
相手は、最初の夫の弟にあたる藤村忠。
さらに作家としてデビューすると、小説家の尾崎士郎との出会いが待っていました。
2人目の夫・藤村忠|最初の夫の弟と結婚
藤村忠は、最初の夫・藤村亮一の弟です。
実は、宇野千代が以前から心を寄せていたのは、兄の亮一ではなく、弟の忠だったといわれています。
1916年、京都の第三高等学校に通っていた忠を頼り、宇野千代は京都で一緒に暮らし始めました。
翌年には東京へ移り、1919年に正式に結婚しています。
その後、忠の就職に伴って北海道の札幌へ移住しました。
ここで、宇野千代の人生は大きく動きます。
札幌での生活中に書いた小説『脂粉の顔』が懸賞小説に入選し、作家としての道が開けたのです。
ところが、夫婦生活は長く続きませんでした。
1920年代初め、宇野千代は東京で別の男性と出会い、そのまま同棲を始めてしまいます。
その相手こそ、小説家の尾崎士郎でした。
宇野千代は当時、まだ藤村忠と婚姻関係にありました。
正式に離婚したのは1924年のことです。
3人目の夫・尾崎士郎|出会ったその日に同棲を開始
1921年、宇野千代は懸賞小説『脂粉の顔』で一等に入選します。
このとき、同じ懸賞で二等に入選していたのが尾崎士郎でした。
尾崎士郎は、のちに大河小説『人生劇場』で人気を集めることになる作家です。
2人が出会ったのは、1920年代初めのことでした。
中央公論社で顔を合わせた宇野千代は、尾崎士郎にひと目惚れ。
そして驚くことに、出会ったその日のうちに同棲を始めたと伝えられています。
このとき、宇野千代はまだ藤村忠と婚姻関係にありました。
北海道には夫がいるのに、東京で別の男性との生活を始めてしまったのです。
当時としては、かなり大胆な行動だったでしょう。
2人はその後、東京・馬込へ移り住み、正式に結婚しました。
なお、尾崎士郎との結婚年については、1924年と1926年の記載があり、資料によって異なります。
馬込には多くの作家や芸術家が集まり、やがて「馬込文士村」と呼ばれる文化的な交流の場になりました。
宇野千代も文学仲間に囲まれながら、作家として活動を広げていきます。
しかし、情熱的に始まった2人の恋も、やがて終わりを迎えました。
1930年、宇野千代と尾崎士郎は離婚しています。
梶井基次郎との関係は?恋愛は否定?
尾崎士郎と結婚していた頃、宇野千代にはもうひとり、親しく交流した男性がいました。
小説『檸檬』で知られる作家・梶井基次郎です。
2人は周囲から関係を怪しまれるほど親しくなりましたが、果たして恋愛関係だったのでしょうか。
梶井基次郎|毎晩のように訪ねてきた「長っ尻」の作家
宇野千代と梶井基次郎が交流したのは、1927年のことです。
舞台は伊豆の湯ヶ島温泉でした。
当時、梶井は病気療養のため湯ヶ島に滞在しており、宇野千代とも親しくなります。
梶井は宇野千代の部屋をたびたび訪ね、文学の話などで盛り上がったといいます。
ところが、この梶井には少々困ったところがありました。
一度話し始めると、なかなか帰らないのです。
宇野千代は自伝の中で、そんな梶井の様子を「長っ尻」と表現しています。
話が深夜まで続き、ときには朝になってしまうこともあったそうです。
さすがに、旅館の人たちも気になったのでしょう。
やがて、宇野千代と梶井基次郎は恋愛関係にあるのではないかという噂が広まりました。
しかし、宇野千代自身は梶井との男女関係を否定しています。
親しく交流していたことは確かですが、恋人だったと断定できるわけではありません。
梶井基次郎は1932年、31歳という若さで結核のため亡くなりました。
朝ドラ『ブラッサム』に登場する梶矢基一郎も、梶井基次郎を思わせる人物です。
宇野千代の男性遍歴には、恋人だけでなく、文学を通じて強く結びついた男性もいたのですね。
宇野千代と東郷青児の同棲|村田社長との噂も
尾崎士郎と別れた宇野千代が、次に恋に落ちた相手は洋画家の東郷青児でした。
しかも、2人が出会ったきっかけは、東郷の恋愛事件を取材するためだったというのです。
取材相手と恋に落ちるなんて、まるで小説のような話です。
東郷青児|恋愛事件の取材から同棲生活へ
東郷青児は、甘く優美な女性像を描くことで知られた洋画家。
1916年に二科展で二科賞を受賞し、その後フランスへ留学。帰国後は人気画家として活躍しました。
1930年、宇野千代は東郷青児を訪ねます。
目的は、東郷が女性と起こした心中未遂事件について、詳しく話を聞くことでした。
ところが、取材に来たはずの宇野千代は、その日から東郷青児と一緒に暮らし始めたといわれています。
またしても、出会いから一気に同棲へ。
宇野千代の行動力には驚かされますね。
2人の同棲生活は1930年頃から1934年頃まで続きました。
この間、宇野千代は東郷の恋愛体験を題材に、小説『色ざんげ』を執筆します。
1933年から連載された『色ざんげ』は、複雑な男女関係を描いた作品として注目を集め、宇野千代の代表作のひとつとなりました。
しかし、2人の関係は次第に変化していきます。
宇野千代は仕事が忙しくなり、執筆のために別の部屋を借りるようになりました。
さらに東郷青児が、かつて心中未遂事件を起こした相手と再び親しくなったこともあり、2人は完全に別居することになったといわれています。
やがて同棲生活は終わりを迎えましたが、東郷との出会いは宇野千代の文学にも大きな影響を残しました。
▶『色ざんげ』のあらすじは?東郷青児の恋愛事件との関係を解説
村田社長|東郷青児に男女関係を疑われた男性
東郷青児との同棲時代、宇野千代は別の男性との関係を疑われたこともありました。
その人物が、村田社長と呼ばれる実業家です。
当時、宇野千代は東郷青児の絵を売るため、関西方面へ出かけることがありました。
そんなある日、村田社長から銀の鉱脈を見に行こうと誘われ、一緒に山へ出かけることになります。
ところが、現地の宿は大混雑。
寝る場所が足りず、宇野千代は村田社長と同じ布団で寝ることになったといいます。
翌朝、大阪へ戻ると、そこには東郷青児の姿がありました。
村田社長との出来事を知った東郷は、2人の男女関係を疑います。
しかし、宇野千代はその疑いを否定したと伝えられています。
4人目の夫・北原武夫|25年の結婚生活と雑誌『スタイル』
宇野千代が最後に結婚したのは、小説家の北原武夫でした。
4度の結婚の中で、最も長く連れ添った相手です。
2人の恋は、北原武夫が新聞記者として宇野千代を取材したことから始まりました。
北原武夫との出会い|新聞社に通うほど夢中に
北原武夫は、神奈川県小田原市生まれの作家です。
慶應義塾大学を卒業後、都新聞の記者として働いていました。
ある日、北原は作家として活躍していた宇野千代のもとを取材に訪れます。
宇野千代は、北原の端正な顔立ちと文学的な才能に惹かれました。
そして、北原に会うため、毎日のように都新聞社を訪ねるようになったといいます。
やがて2人は親密になり、恋愛だけでなく、仕事でも力を合わせるようになりました。
雑誌『スタイル』の創刊|恋人とともに出版事業を成功させる
1936年、宇野千代はファッション雑誌『スタイル』を創刊。
創刊号の表紙を描いたのは、世界的な画家・藤田嗣治です。
かつて同棲していた東郷青児も、題字のデザインに関わっています。
そして北原武夫も、雑誌の編集に参加するようになりました。
元恋人と新しい恋人が、同じ雑誌づくりに関わっていたとは興味深いですね。
『スタイル』は売り上げを順調に伸ばし、宇野千代は作家だけでなく、出版事業の経営者としても活躍するようになります。
さらに、北原武夫の作家活動を支えるため、文芸誌『文體』も創刊。
そして1939年4月1日、2人は帝国ホテルで結婚式を挙げます。
実はこの日は、2人が初めて出会った記念日だったそうです。
ところが、4月1日といえばエイプリルフール。
周囲では結婚そのものが冗談なのではないかと噂されたという、ユニークなエピソードも残っています。
『スタイル』の倒産と離婚|25年の結婚生活に終止符
北原武夫との結婚生活は、宇野千代にとって最も長いものでした。
戦争中には『スタイル』が休刊となりましたが、戦後の1946年に復刊。
北原を社長、宇野千代を副社長としてスタイル社を再建します。
復刊した『スタイル』は大ヒットし、事業は大きく成長しました。
ところが、1950年代に入ると状況が変わります。
競合雑誌が増えたことで売り上げが落ち込み、さらに税務問題も重なって経営が悪化。
1957年には会社更生法の適用を受け、1959年、スタイル社は倒産してしまいました。
残された負債は、8千数百万円にも上ったといわれています。
宇野千代は着物を作って売り、北原武夫は小説を書き、2人は借金の返済に追われることになりました。
そして1964年、借金をすべて返済したのを機に離婚。
約25年間に及んだ最後の結婚生活にも、ここで終止符が打たれたのです。
しかし、宇野千代の人生はこれで終わりではありません。
その後も小説を書き続け、着物デザイナーとしても活躍しました。
恋愛だけでなく、仕事にも全力で取り組んだ女性だったのですね。
宇野千代の男性遍歴と朝ドラ『ブラッサム』の関係
宇野千代の恋愛遍歴を知ると、朝ドラ『ブラッサム』も少し違った視点で楽しめそうです。
『ブラッサム』の主人公・葉野珠は、宇野千代をモデルにした女性です。
ドラマに登場する男性たちの中にも、宇野千代と実際に関わった人物を思わせるキャラクターがいます。
| 実在の男性 | ドラマの登場人物 |
|---|---|
| 藤村亮一 | 木村亨一 |
| 佐伯正夫 | 島村辰彦(工藤阿須加) |
| 藤村忠 | 木村保(金子大地) |
| 尾崎士郎 | 西尾一路(染谷将太) |
| 梶井基次郎 | 梶矢基一郎(佐藤緋美) |
| 東郷青児 | 夏井銀児(錦戸亮) |
※上記は史実との共通点から考えられる対応関係です。すべての人物について、制作側が実在モデルを明言しているわけではありません。
たとえば、宇野千代は若い頃、同僚教師・佐伯正夫との恋愛をきっかけに学校を辞めています。
一方、作家デビュー後には尾崎士郎と出会い、札幌に夫を残したまま東京で同棲生活を始めました。
こうした史実を知っていると、ドラマで描かれる葉野珠の決断にも、より深みを感じられそうですね。
史実とドラマを比べながら見るのも、『ブラッサム』の楽しみ方のひとつではないでしょうか。
まとめ|宇野千代の男性遍歴は4人の夫だけではなかった
今回は、宇野千代の男性遍歴について紹介しました。
宇野千代は生涯で4度結婚し、東郷青児とも同棲生活を送っています。
さらに若い頃には、北村や佐伯正夫との恋愛を経験し、作家になってからも梶井基次郎や村田社長との関係が噂されました。
ただし、噂になった男性すべてと恋愛関係にあったわけではありません。
実は宇野千代自身、世間から「男性遍歴」と呼ばれることに、少々納得がいかなかったようです。
エッセイ『普段着の生きて行く私』では、華やかな男性遍歴どころか、むしろ自分は男性に振られ、失恋を重ねてきたのだと振り返っています。
世間から見れば自由奔放な恋愛人生も、本人にとっては、好きになった人との出会いと別れを繰り返す日々だったのでしょう。
それでも、別れを経験するたびに新しい人生へと進んでいく。
恋にも仕事にも、いつも全力だった宇野千代。
そんな生き方を知ると、朝ドラ『ブラッサム』の主人公・葉野珠がどんな人生を歩んでいくのか、ますます気になりますね。
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