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朝ドラ ブラッサム

宇野千代と尾崎士郎はなぜ離婚した?結婚生活と別れの理由

宇野千代の夫として知られる作家・尾崎士郎。

二人は東京・馬込で暮らし、多くの文士に囲まれながら作家生活を送っていました。

しかし、1920年代後半になると夫婦の関係が変わり、1930年に離婚します。

この記事では、

  • 宇野千代と尾崎士郎が離婚した理由
  • 二人の結婚生活
  • 別れたあとの宇野千代と尾崎士郎
についてご紹介します。

 

▶朝ドラ「ブラッサム」のあらすじ

宇野千代と尾崎士郎はなぜ離婚した?

宇野千代と尾崎士郎の別れ1

宇野千代と尾崎士郎の別れで、大きなきっかけとなったのが梶井基次郎との交流です。

1927年、宇野千代は伊豆・湯ヶ島で梶井基次郎と出会いました。二人は文学の話で意気投合し、梶井が夜遅くまで宇野千代の宿で話し込むこともあったといいます。

そんな親しい様子は、やがて周囲で噂になるように。そのころから尾崎士郎も宇野千代から心が離れ、馬込の家に寄り付かなくなっていきます。

1928年には、宇野千代が『婦人公論』に「新しき生活への出発」を発表。そして1930年8月、二人は正式に離婚しました。

離婚までの流れをまとめると、こんな感じです。


梶井基次郎との交流
↓
夫婦の間に亀裂
↓
尾崎士郎が馬込を離れる
↓
宇野千代も新しい生活へ
↓
1930年に正式離婚

 

梶井基次郎との交流

1927年、川端康成に誘われて伊豆・湯ヶ島を訪れた宇野千代。そこで『檸檬』で知られる梶井基次郎と出会います。

宇野千代は梶井の文学に惹かれ、二人は夜が更けるのも忘れて話し込んだこともあったそうです。

ただ、二人が恋愛関係だったとまでは言い切れません。

親しい交流が周囲で噂になり、そのころから尾崎士郎が馬込の家に寄り付かなくなったと紹介されています。

梶井基次郎との出会いを境に、宇野千代と尾崎士郎の夫婦関係も大きく揺れ始めたようです。

 

尾崎士郎との別れ

梶井基次郎との関係が噂になるころ、尾崎士郎も次第に馬込の家から離れていきました。

1928年には、宇野千代が「新しき生活への出発」を発表。二人はそれぞれ、新しい生活へ進み始めます。

宇野千代は後年、『生きて行く私』の中で、尾崎士郎と若い女性が一緒にいる姿を見たときのことを振り返っています。

「私はそのとき、凡てのことを理解した。」

(引用:『生きて行く私』宇野千代)

短い言葉ですが、このときの宇野千代の気持ちが伝わってきます。

そして1930年8月、二人は正式に離婚しました。

 

宇野千代と尾崎士郎の結婚生活

別れの話だけを見ると、ずっと関係が悪かったようにも見えます。

けれど、馬込で暮らしたころの二人は、たくさんの作家仲間に囲まれていました。

 

馬込で暮らした二人

宇野千代と尾崎士郎は1923年、東京・馬込に住まいを構えました。

1926年には尾崎士郎と結婚します。

当時の馬込は、まだ田畑の残る郊外。そこへ若い作家たちが集まり、のちに「馬込文士村」と呼ばれる交流が広がっていきました。

1926年には、二人で宇野千代の故郷・岩国へも出かけています。

瀬戸内海を望む新港で一緒に過ごすなど、夫婦で穏やかな時間を過ごした時期もありました。

 

文士が集まった家

馬込には、尾崎士郎を慕う多くの文士が集まりました。

  • 川端康成
  • 萩原朔太郎
  • 広津和郎
  • 牧野信一
  • 三好達治
  • 室生犀星

そうそうたる顔ぶれですね。

宇野千代は来客に、故郷の岩国寿司や郷土料理「大平」をふるまっていました。

尾崎士郎も岩国寿司が好きだったようで、

「酒の肴にこんな好いものはない」

(引用:山口県観光サイト)

と評したと紹介されています。

作家が集まり、食事をし、文学を語る。二人の家は、馬込の文士たちが集まるにぎやかな場所だったようです。

離婚後の宇野千代と尾崎士郎

別れたあと、二人はそれぞれ新しい人生へ進みます。

宇野千代の次の相手となったのが、画家・東郷青児です。

 

宇野千代と東郷青児

宇野千代と尾崎士郎の別れ2

1929年から1930年にかけて、宇野千代は新聞小説『罌粟はなぜ紅い』を執筆していました。

取材で訪ねたのが、当時、情死未遂事件で世間を騒がせていた画家・東郷青児です。

そして二人は、出会ったその日から一緒に暮らし始めたと紹介されています。

 

宇野千代が東郷青児と出会ったころ、尾崎士郎とはすでに別居中でした。

つまり、「東郷青児を好きになったから尾崎士郎と離婚した」という順番ではありません。

尾崎士郎との結婚生活が終わりへ向かうなかで、宇野千代は次の恋へ進んでいったのです。

一方の尾崎士郎も、その後、新しい家庭を築いていきました。

▶宇野千代と東郷青児の関係は?出会いから同棲生活までを解説

別れたあとも互いを評価

離婚後の二人を知るうえで、印象的なのが宇野千代の言葉です。

「一番好きだったのは尾崎です」

(引用:山口県観光サイト)

何度も恋と結婚を経験した宇野千代が、後年こう振り返っています。

尾崎士郎も、宇野千代が自分の作家生活の土台をつくり、文学を見る目を開いてくれた人物だったと語っています。

夫婦としては別々の道へ進んだ二人。

それでも、互いにとって大きな存在だったことは変わらなかったのかもしれません。

 

まとめ|宇野千代と尾崎士郎の離婚

以上、宇野千代と尾崎士郎が離婚した理由と、二人の結婚生活についてご紹介しました。

梶井基次郎との交流をめぐって夫婦の関係が揺らぎ、二人は次第に別々の生活へ。1930年8月に正式に離婚しました。

それでも宇野千代は後年、尾崎士郎を「一番好きだった」と振り返っています。

朝ドラ『ブラッサム』では、二人をモデルとする夫婦の出会いから別れまでが、どのように描かれるのか注目したいですね。

▶朝ドラ「ブラッサム」のあらすじ

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参考:
宇野千代公式サイト「宇野千代について」
山口県観光サイト

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