宇野千代の『墓を発く(あばく)』は、1922(大正11)年に発表された小説です。
若い女性教師を主人公に、学校や社会の理不尽さ、そして家族の悲劇を描いた作品です。
少し物騒な題名ですが、いったい誰の墓を発くのでしょうか。
この記事では、
- 『墓を発く』の詳しいあらすじと結末
- 「墓を発く」という題名の意味
- 宇野千代の実体験と作品誕生の背景
- 朝ドラ『ブラッサム』との関係
についてご紹介します。
宇野千代『墓を発く』のあらすじと結末

宇野千代の『墓を発く』の主人公は、若い女性教師・吉子。
物語の前半では、学校や地域社会で起こる理不尽な出来事が描かれます。一方、後半で明らかになるのは、吉子自身の家族が抱えてきた悲しい過去。
まずは、物語の流れを詳しく見ていきましょう。
学校から遠ざけられる久太
ある日、学校の入り口で騒ぎが起こります。
吉子が様子を見に行くと、児童の久太を学校に行かせまいとする父親がいました。
久太は言葉を話すことができず、勉強も苦手な子どもです。しかし学校が大好きで、毎朝誰よりも早く登校していました。
それなのに、なぜ登校を止められているのでしょうか。
理由は、県内の小学校で一斉に行われる試験にありました。
新しく赴任した県知事の発案で、学校の教育成果を調べる試験が実施されることになったのです。
校長は少しでも良い成績を残そうと、授業を試験対策中心に変更。児童たちは読み方と算術ばかりを繰り返していました。
それだけではありません。
勉強が苦手な久太については、試験が終わるまで学校へ来させないよう、父親に指示していたのです。
学校の評価を守るために、一人の子どもが学ぶ機会を奪われる。
吉子は、そんな学校のあり方に疑問を抱きます。
教師や地主による不公平な仕打ち
吉子の周囲では、ほかにも理不尽な出来事が起きていました。
吉子の伯母は、学校の近くで文房具店を営んでいます。ところが、商品の売れ行きは教師の勧め方ひとつで大きく変わりました。
その立場を利用し、伯母に酒代を要求する教師までいたのです。
学校内でも、校長に取り入ろうとする教師や、立場の弱い人間を見下す人々が登場。
一方、農村では貧しい小作人たちが苦しい生活を送っていました。
ある小作人の畑は、軍隊の演習によって荒らされてしまいます。国から補償金が支払われるものの、受け取ったのは地主でした。
実際に畑を耕していた家族には、一銭も渡りません。
その家には、仕事を手伝うために学校へ通えない子どももいました。
学校の成績を守ろうとする校長、立場を利用する教師、補償金を受け取る地主。
こうした出来事に共通するのは、力を持つ者が弱い立場の人々を苦しめていることです。
吉子は、社会に広がる不公平に怒りを感じていました。
しかし物語の後半では、吉子自身の家族にも大きな悲劇が待ち受けていたのです。
兄・国吉の危篤と姉・お絹との再会
ある日、吉子のもとに一通の電報が届きます。
兄・国吉が危篤状態にあるため、すぐに来てほしいという知らせ。
国吉は兵役中に日射病で倒れ、病院で療養していました。つい先日も吉子に手紙を送ってきたばかりです。
突然の知らせに驚いた吉子は、急いで兄のもとへ向かいます。
船で島へ渡り、そこで久しぶりに再会したのが姉・お絹でした。
お絹はひどくやつれ、疲れ切った様子です。
案内された部屋には、青白い顔で横たわる国吉がいました。目を開けることもできず、意識もはっきりしません。
実は、お絹と国吉には、ささやかな夢がありました。
国吉の兵役が終わったら、二人で小さな家を借りて暮らすこと。
お絹はその日を楽しみに、針仕事を引き受けながら懸命に働いていました。
ところが、ようやく戻ってきた国吉は、重い病に倒れていたのです。
お絹は、国吉がこのまま死んでしまうのではないかと恐れていました。
そんな姉を励まそうと、吉子は国吉が元気になったら、三人で母親のお墓参りに行こうと提案します。
ところが、その言葉を聞いたお絹の表情が一変しました。
母親に捨てられた姉と兄の悲劇
お絹は、母親の墓参りなど考えたこともないと答えます。
実は、お絹と国吉は幼い頃、母親に置き去りにされていたのです。
ある夜、お絹は母親が家を離れる気配に気づきます。慌てて追いかけますが、母親の姿は暗闇の中へ消えてしまいました。
幼い姉弟を残し、母親は家を去ってしまったー。
その後、お絹と国吉は厳しい生活を送ることになります。
お絹は幼い頃から、母親への激しい憎しみを抱いていました。
そして吉子に、衝撃的な思いを打ち明けます。
それは、母親の墓を掘り返し、その骨を踏みつけてやりたいというものでした。
幼い頃から、誰にも見つからない夜に母親の墓へ忍び込み、恨みを晴らすことを考えていたというのです。
大人になった今も、その憎しみは消えていませんでした。
自分たちを捨て、母親は自分の幸せを選んだ。
お絹は、そう受け止めていたのです。
母親が去ったことで、人生を大きく狂わされた姉弟。お絹の言葉には、長年積み重なった悲しみと怒りが込められていました。
この告白こそ、『墓を発く』という題名につながる重要な場面です。
結末|「墓を発く」に込められた意味
姉の激しい告白を聞き、吉子は言葉を失います。
お絹にとって母親は、死んでもなお許すことのできない存在でした。
母親が亡くなっても、幼い頃に受けた傷は消えません。残された子どもたちの人生には、今も深い影を落としていたのです。
そして吉子は、母親の罪が、自分自身の家庭にも影響を及ぼしているのではないかと考え始めます。
そのとき、吉子の頭の中には、お絹の言葉が繰り返し浮かんでいました。
「墓を發く、墓を發く」
(引用:宇野千代『墓を発く』)
やがて、寺の本堂からかすかな読経の声が聞こえてきます。
国吉が横たわる部屋には、細い灯りが揺れていました。
国吉が回復したのか、それとも亡くなったのか。物語は、その後の生死を明かさないまま終わります。
また、お絹が実際に母親の墓を掘り返すこともありません。
『墓を発く』とは、母親に捨てられた姉が抱き続けた、激しい憎しみを表す言葉だったのです。
学校や社会の不公平を描いてきた物語は、最後に家族の奥深くに残された傷へとたどり着きます。
亡くなった母親を許せないお絹と、その言葉に心を揺さぶられる吉子。
何とも重く、やりきれない余韻を残す結末となっています。
『墓を発く』は実話?宇野千代の教員経験との関係
『墓を発く』には、宇野千代自身の経験が反映されています。
宇野千代は1897(明治30)年、山口県岩国に生まれました。
1914(大正3)年に岩国高等女学校を卒業すると、川下村尋常高等小学校の代用教員として働き始めます。
当時の千代はまだ17歳でした。
勉強が苦手な子どもたちを受け持ち、少しでも上達すると褒めてやる気を引き出すなど、熱心に指導していたといいます。
しかし翌年には、新しく赴任した男性教師との恋愛が噂になり、免職となってしまいました。
こうした教員時代の経験が、『墓を発く』の執筆にもつながっていきます。
⇒宇野千代が教師をクビになった理由は?同僚教師との恋と退職の真相
宇野千代が描いた社会の不平等
『墓を発く』の大きなテーマの一つが、社会の階級的な不平等です。
宇野千代は、代用教員時代に感じた社会の階級組織の欠陥を主題として、この作品を書いたと語っています。
物語には、学校の成績を守ろうとする校長や、商店主に酒代を要求する教師、補償金を受け取る地主などが登場しました。
その一方で、苦しい立場に置かれるのは、子どもや商店主、貧しい小作人たちです。
宇野千代が描こうとしたのは、単なる不幸な出来事ではありません。
人々の苦しみを生み出す社会の仕組みそのものだったのでしょう。
また、宇野千代が若い頃に私淑していた作家・小川未明の影響も見られます。
小川未明は童話作家として広く知られていますが、初期には貧困や社会の矛盾を扱った小説も執筆していました。
『墓を発く』にも、社会の不公平に目を向ける姿勢が感じられます。
ただし、物語に登場する出来事が、すべて宇野千代の実体験というわけではありません。
教員時代の経験や当時の社会問題をもとに、ひとつの小説として描き上げた作品です。
『墓を発く』の掲載と原稿料366円
『墓を発く』は、宇野千代の作家人生を大きく変えた作品でもあります。
1922(大正11)年5月号の『中央公論』に掲載され、本格的に文壇へ進むきっかけとなりました。
その裏には、まるでドラマのようなエピソードがありました。
『脂粉の顔』の入選から『墓を発く』へ
当時の宇野千代は、夫・藤村忠と北海道の札幌で暮らしていました。
1921(大正10)年には、短編小説『脂粉の顔』が『時事新報』の懸賞小説で一等に入選。賞金200円を手にします。
この成功で自信を得た宇野千代は、さらに小説の執筆に打ち込みました。
そして完成させたのが『墓を発く』です。
原稿は120枚ほど。『脂粉の顔』よりも、はるかに長い作品でした。
原稿を送った相手は、『中央公論』の編集長・瀧田樗陰(たきたちょいん)です。
宇野千代は以前、東京のレストラン「燕楽軒」で働いていた頃に瀧田と知り合っていました。
ところが、原稿を送っても返事が届きません。
作品は採用されたのか。それとも、読んでもらえていないのか。
待ちきれなくなった宇野千代は、札幌から東京へ向かったのです。
⇒ ブラッサム黒崎大三郎の実在モデルは?中央公論編集長の瀧田樗陰と史実を解説
原稿料366円を受け取って故郷へ
1922年4月、宇野千代は中央公論社を訪ねました。
すると、驚くべきことがわかります。
なんと『墓を発く』は、すでに『中央公論』5月号への掲載が決まっていたのです。
瀧田から刷り上がった雑誌を見せられた宇野千代は、原稿料として366円を受け取りました。
当時としては大変な金額です。
大正末期の大卒サラリーマンの初任給は、月50〜60円ほどだったといいます。その数か月分にあたるお金を、一つの作品で手にしたことになります。
宇野千代は大喜びし、その日のうちに故郷の岩国へ向かいました。
家族に、自分が小説を書いて得たお金を見せたかったのです。
⇒ ブラッサム|賞金200円・原稿料300円は現在のいくら?大正時代の価値を比較
『墓を発く』が作家人生の転機に
故郷で家族との再会を喜んだ宇野千代は、再び東京へ戻ります。
その後、札幌の夫のもとへ帰るつもりでした。
ところが、東京で思いがけない出会いが待っていました。
それが、のちに夫となる作家・尾崎士郎です。
宇野千代は尾崎士郎と恋に落ち、札幌へ戻ることなく、東京で新しい生活を始めました。
『墓を発く』の掲載は、小説家として認められるきっかけになっただけではありません。
宇野千代の恋愛と人生を大きく変える転機にもなったのです。
朝ドラ『ブラッサム』と『墓を発く』の関係
朝ドラ『ブラッサム』でも、『墓を発く』は主人公・葉野珠の作家人生を変える重要な作品として登場します。
札幌で夫・木村保と暮らしていた珠は、懸賞小説『脂粉の顔』の入選をきっかけに、再び執筆へと打ち込みます。
そして、故郷の岩国で見聞きした出来事をもとに『墓を発く』を書き上げました。
原稿を送ったのは、文芸雑誌『首都公論』の編集長・黒崎大三郎です。
ところが、いくら待っても返事は届きません。
そこで珠は、自ら東京へ向かうことを決意します。
この展開は、宇野千代の実際の経験とよく似ています。
| 比較項目 | 史実 | ブラッサム |
|---|---|---|
| 作者 | 藤村千代(宇野千代) | 葉野珠 |
| 小説 | 墓を発く | 墓を発く |
| 掲載誌 | 中央公論 | 首都公論 |
| 編集長 | 瀧田樗陰 | 黒崎大三郎 |
| 原稿料 | 366円 | 300円 |
ドラマでは出版社名や編集長の名前などが変更されていますが、作品名は実際の『墓を発く』が使われています。
また、珠が自ら出版社を訪ね、原稿料を受け取る展開も、宇野千代の体験をもとにしています。
若き日の宇野千代が抱いていた、書くことへの強い情熱。
朝ドラ『ブラッサム』でも、その姿が葉野珠を通して描かれています。
宇野千代『墓を発く』はどこで読める?
宇野千代の『墓を発く』は、2019年に岩波文庫から刊行された『老女マノン・脂粉の顔 他四篇』に収録されています。
この本には、宇野千代の初期作品6篇が収められています。
- 脂粉の顔
- 墓を発く
- 巷の雑音
- 三千代の嫁入
- ランプ明るく
- 老女マノン
『墓を発く』は15〜81ページに収録されています。
また、1924(大正13)年に金星堂から刊行された作品集『幸福』にも収められています。
こちらは国立国会図書館デジタルコレクションで公開されており、インターネット上で読むことができます。
まとめ|宇野千代『墓を発く』のあらすじと結末
以上、宇野千代『墓を発く』のあらすじと結末についてご紹介しました。
『墓を発く』は、若い女性教師・吉子を通して、社会の不公平や家族の悲劇を描いた作品です。
物語の結末で明らかになるのは、母親に捨てられた姉・お絹の激しい憎しみでした。
1922年の『中央公論』掲載をきっかけに、宇野千代は本格的な作家人生へと踏み出していきます。
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